2008年2月28日

奄美を描き続けた画家 田中一村

田中一村 田中一村記念館で許可を得て撮影

大島ツムギのドロ染め 

一村もおこなったドロ染めです。日を変えて5回染めます。回数が多ければ多いほど、光沢が出ます。この作業の前に、車輪梅(テーチギ=鉄木)に80回ほど 染めます。向こうに見えるのは一村宅です。 一村は、この掘っ立て小屋に引っ越して来て「大きくて、まるで、御殿のようだ」と喜びました。

名作「アダンの木」 

一村は、人気(ひとけ)のない縦長の絵を好んでえがきました。
大きな絵は4畳半ではかけませんでした。
画像の出典:『奄美群島日本復帰50周年記念 奄美を描いた画家 田中一村展』2004年

  • 田中一村(いっそん)は、 1908年栃木市に生まれました。
    7歳で文部大臣賞を受賞し、18歳の時には「田中一村賛奨会」で日本の重鎮から激励されるなど、将来を嘱望(しょくぼう)されましたが、中央画壇とは一線を画し、清貧の中で画業に励みました。
  • 1958年50歳の時、奄美に移りました。
    それから約20年間ツムギ染色工をしながら、不遇の中で、奄美の自然をえがきつづけました。
    1977年、69歳で孤独のうちになくなりました。
  • 植物や花鳥を画面いっぱいに細密にえがき、デフォルメした幽玄な作風で、独自の日本画の世界を生み出しました。
  • 1984年NHKが紹介し、一躍多くの人を魅了しました。2003年、一村の作品が教科書に採用されました。
  • 一村は、アダンをこのんでモチーフにしました。
    アダンは、パイナップルのような大きな果実を実らせます。
    常緑のままで真冬でも色鮮やかな花を咲かせます。
    波打ち際に群生し、貴重な防風、防潮、防砂林ともなっています。
  • 一村は、樹木を通して海の彼方を見るのが好きでした。
    奄美の山は濃く、また雲をよぶので、海や空もたそがれた感じになっています。
    山高く緑豊かなところの特徴的な風景です。
  • 田中一村について
  • 田中一村ウィキペディア
  • 田中一村超マニアックコース
  • 田中一村記念美術館

2008年2月26日

若者、青春の格言

  • 青年にすすめたいことは、ただ三語につきる。
    すなわち働け、もっと働け、あくまで働け。ビスマルク
  • 若いときに苦い水を飲まなかったやつは、ひだちが悪いよ。山本有三
  • 青年は未来があるというだけで幸福である。ゴーゴリ
  • 年をとってから暖まりたいものは、若いうちに暖炉を作っておかなければならない。ドイツの諺
  • 青春時代にさまざまな愚かさを持たなかった人間は、中年になってからなんの力も持たないだろう。J・A・コリンズ
  • 青年は教えられることより刺激されることを欲するものである。ゲーテ
  • 青春の失策は、壮年の勝利や老年の成功よりも好ましいものだ。B・ディスレイリィ
  • 青春は単なる人生の花盛りではなく、来るべき結実の秋への準備の季節である。竹越与三郎
  • 青春の時期は、いつの時代でも恥多く悩ましいものだ。もう一度やれと言われてもお断りしたい。吉行淳之介
  • 何もかも失われた時にも、未来だけはまだ残っている。ボビー
  • 若さが幸福を求めるなどというのは、衰退である 三島由紀夫
  • 青春は短い。宝石の如くにしてそれを惜しめ。倉田百三
  • 大多数の若者は、そのぶしつけと無作法を、天真爛漫のつもりでいる。ラ・ロシュフーコー
  • 青年は完全なるものは愛さない。なぜなら、彼らの為すべき余地があまりにもわずかしか残っていないので、彼を怒らせるか退屈させるからである。ヴァレリー
  • 一般に青年が主張する内容は正しくない。しかし、青年がそれを主張するそのこと自体は正しい。ジンメル
  • ---------------------
  • 日本人も外国へ出稼ぎに行く時です邱永漢

2008年2月24日

加那は「愛(かな)し」から

黒糖せんべい 愛加那(ゆれる船上にて撮影のため、ピンぼけ)

  • 西郷隆盛の奄美での妻の名は愛加那です。
    加那とは「愛(かな)し」に由来し、「恋しい人」のことです。
    奄美ではよく使われます。
  • 田端義夫が、1962年(S37年)にうたった「島育ち」に 「加那(かな)も年頃 加那も年頃」と加那がうたわれています。
  • 奄美の名瀬(なぜ)港から沖縄への船の売店で「沖縄へのみやげは?」とたずねたら、写真の黒糖せんべい「愛加那」を真っ先に推薦されました。
  • 「加那」という黒糖焼酎もあります。
    黒糖焼酎は奄美だけに許された焼酎で、毎年10%売り上げがのびています。
  • 田端義夫の思い出

    田端義夫は、三重県松阪市の出身です。今から60年ほど前、わたしも疎開(そかい、戦争で田舎にすむこと)で松阪(まっつぁか)のさらに山奥に住んでいました。
  • 20代の田端義夫が名古屋で美空ひばりと共演中、何者かにほほを切られました。地元の松阪では「バタやんが、えらいことに、おうたんや」と大騒ぎでした。
  • 1962年の「島育ち」を、東京での学生時代に昔のバタやんを思い浮かべながら、口ずさんだりしました。「加那(恋しい人)」は人名だと今回の奄美訪問まで40年間おもっていました。
  • 奄美合宿で金メダルを獲得した野口みずき選手も、三重県出身です。バタやんの「島育ち」が無言の追い風になったのでしょうか。
  • 「島育ち」 [演奏]

    1
    赤い蘇鉄(そてつ)の 実も熟れる頃
    加那(かな)も年頃 加那も年頃
    大島育ち

    2
    黒潮(くるしゅ) 黒髪(くるかみ) 
    女身(うなぐみ)ぬ かなしゃ
    想い真胸に 想い真胸に
    織る島紬(つむぎ)

    3
    朝は西風 夜(よ)は南風
    沖ぬ立神(たちがみゃ) 沖ぬ立神
    又 片瀬波

    夜業(よなべ)おさおさ 織るおさの音
    せめて通わそ せめて通わそ
    此の胸添えて

    (有川邦彦作詞・三界稔作曲)
  • 田端義夫1919年生まれで現役   

2008年2月23日

西郷の妻 愛加那(あいかな)

西郷隆盛の流謫(るたく)の家。龍郷(たつごう)町にて
  • 西郷隆盛の奄美大島での妻は、愛加那です。
  • 流謫(るたく)の身であった西郷隆盛は、島の娘愛加那を33歳の時に妻にしました。愛加那は22歳でした。ここで3年間暮らしました。
  • 二人の子供、菊次郎、菊子は、島妻制度の掟にしたがい、のちに薩摩の西郷本家に引き取られ、愛加那は孤独な生涯をシマで送りました。
  • 西郷は、菊池源吾とシマでは名乗っていました。長男に菊池の「菊」をとって菊次郎とつけました。菊次郎は、台湾の知事をやり、京都市長にもなりました。
  • 西郷は、鹿児島にもどり別の女性と結婚して、次男を寅年にもうけました。寅太郎です。
  • シマ生まれの長男が次郎で、鹿児島の次男が太郎です。また二人の子供を、愛加那から鹿児島へとつれ去りました。
  • そのころの本土人の琉球、奄美観があらわれています。

2008年2月22日

日本のお得意様は大中華圏と韓国

2007年訪日外客

2007年  
大中華圏 360万  
 (中国 94万 95年には22万)
韓国 260万  
アメリカ 82万
  • 大中華圏とは陸の中国+海の中国(台湾+香港+シンガポール)を指します。
  • 円安のため、人民元は19%アップしました。ウォンは、32%、ロシアのルーブル20%アップしました。訪日観光客が増えるゆえんです。
  • 苗場プリンスの最良の部屋は、ロシア人が占領しています。
  • オーストラリア通貨は円に対して、58%アップしました。このためタクシーの運転手の給与は、円換算で1500万円となっています。ニセコのマンション、別荘はオーストラリア人が買い続けており、日本一高騰しています。
  • 日本はホテルも安いし、買い物天国とというのが、海外の通説です。

2006年日本人出国者の行き先


1995年 2006年
アメリカへ 475万 367万
中国へ 87万 377万
  • 2006年日本人の行き先は、中国行きがアメリカ行きを逆転しました。
  • 日本人には外国が遠くなりました。イギリスではそれなりのホテルは10万円かかります。天丼一杯が4000円もします。

貿易もアメリカからアジアシフトへ

日本の貿易量


2007年
対大中華圏 28%
対中国 18%
対アメリカ 16%
  • 大中華圏との貿易量が全貿易量の3分の1に迫っています。
  • 2050年にはアジアとの貿易量が半分を占めるようになります。

日本海物流の時代へ

2007年世界港湾ランキング

  • 1位シンガポール、2位上海、3位香港、4位深セン、5位釜山

釜山のコンテナ扱い量

  • 釜山>東京+横浜+名古屋+神戸+大阪

日本のコンテナ扱い量の伸び率(1995年から2005年)

  • 全国平均4.6% 日本海沿海13%

  • 世界港湾ランキングを見ると、世界はアジアの時代であることがわかります。
  • 日本の物流は、日本海側(アジア側)へシフトしています。1995年から2005年までの伸び率は、全国4.6%に対して日本海側は13%です。日本海側が伸びているのは、釜山への中継港となっているからです。
  • 日本海岸側の物産はいったん安くて便利で営業時間が長い釜山へ集められ、そこから太平洋へ、アジア、アフリカへ旅立ちます。
  • たとえば、函館のカニ缶は、釜山へ運ばれ、釜山から函館沖の津軽海峡を通ってアメリカへ輸出されています。
  • 日本は、各県1港方式で、値段も高いので国際競争に太刀打ちできません。内航船の価格が高く、鹿児島から沖縄までの運賃とアメリカから沖縄までの価格が同じです。

cf. 寺島実郎「2008年への視座 世界潮流と日本の進路を考える基本資料」2008年2月18日 テラハウス@東中野

2008年2月20日

がばいばあちゃん語録 #3

  • 「世の中には、 病気で死にたくない人がいっぱいおるのに、
    自殺なんて贅沢だ」
  • 「貧乏には二通りある。
    暗い貧乏と明るい貧乏。
    うちは明るい貧乏だからよか。
    それも、最近貧乏になったのと違うから、
    心配せんでもよか。
    自信を持ちなさい。
    うちは、先祖代々貧乏だから」
  • 「大変なほうを先にやる。
    そしたら、後が天国だから」
  • 「人生好きに生きないといかん。
    自分の人生だけん」
  • 「人間には偉いひとなんかおりゃせん。
    努力すればすごい人になるたい」
  • 「生きていることが面白い。
    なりふりかまうより、
    工夫してみろ」
  • 「拾うものはあっても、
    捨てるものはないと」
  • 「もし泥棒に入られても、
    何にも盗られるものはない。
    あんまり何もないから、
    置いて行ってくれるかもわからんばい」
  • 「ばあちゃん、英語なんかさっぱり分らん」
    「じゃあ、答案用紙に『私は日本人です』って書いとけ」
    「漢字も苦手で・・・・・」
    「『僕はひらがなとカタカナで生きていきます』って書いとけ」
    「歴史も嫌いでなあ」
    「歴史もできんと?『過去にはこだわりません』って書いとけ」

2008年2月17日

がばいばあちゃん語録 #2

  • 「人間は死ぬまで夢をもて! 
    その夢が叶わなくても、しょせん夢だから」
  • 「頭がいい人も
    、頭が悪い人も、
    金持ちも、
    貧乏も、
    五十年たてば、
    みーんな五十歳になる。
    心配するな!」
  • 「二人、三人に嫌われても
    あと地球には、六〇億人がいるよ」
  • 「わらっておけば周りも楽しそうになるよ。
    貧乏人がいちばんやれることは笑顔たい」
  • 「少しのお金とたくさんの友だちがいたら
    人生、価値かもね」
  • 「わたしの人生、
    何なんだろう?
    とか、難しく生きるなよ。
    終わりにしかわからんばい」
  • 「時計が左に回ったら、
    壊れたと思って捨てられる。
    人間も昔を振り返らず、
    前へ前へと進め!」
  • 「ゼイタクすることだけが
    幸せじゃない。
    小さな幸せを大きく感じることが
    本当の幸せかも」
  • 「今日、明日のことばかり考えるな。
    百年二百年先のことを考えろ!
    孫や曾孫が五百人くらい出来て、
    楽しくてしょうがなか」
  • 「葬式は悲しむな。丁度よかった、しおどきだった」
  • 「人がこけたら笑え、自分がこけたらもっと笑え。
    人はみんな、こっけいだから」
  • 「ケチは最低!節約は天才!」
  • 「コツコツやってもなあ、と
    思う前に、コツコツやれ!
    コツコツの先に
    成功があるとおもうよ」
  • 「鰯(いわし)を食べてるからって、貧乏じゃない。
    昔 の人が鰯を見て、鯛(たい)と名前をつけていたら、
    鯛は鰯ばい!」
  • 「海水パンツなんかいらん!実力で泳げ!」
  • 「二股の大根も、切って煮込めば一緒。
    まがったキュウリも、
    きざんで塩でもんだら同じこと」

2008年2月15日

がばいばあちゃん語録 #1

  • 「何悩んでる?
    おまえの頭じゃ解決せんから、さっさと学校に行け!」
  • 「人に気づかれないようにするのが、本当の優しさ、本当の親切」
  • 「通知表は、0じゃなければええ。
    1とか2を足していけば5になる!
    人生は総合力だから」
  • 「悲しい話は夜するな。
    つらい話も昼すれば何ということもない」
  • 「嫌われているということは、 目立っているということや」
  • 「「暑い」「寒い」と、うるさく言うな。
    夏は冬に感謝し、冬は夏に感謝しんしゃい」
  • 「今のうちに貧乏しておけ!
    金持ちになったら、
    旅行へ行ったり、
    寿司食ったり、
    着物を仕立てたり、
    忙しか」
  • 「あんまり勉強するな! 
    勉強すると癖になるぞ!」
  • 佐賀のがばいばあちゃんウィキペディア

2008年2月14日

ことば摘録

  • 小浜(おばま)市
    • 福井県の小浜(おばま)市は民主党有力候補のオバマ氏と発音が同じです。「オバマ候補を勝手に応援する会」を発足させました。
    • 杉田玄白の出身地です。
    • 川越市の姉妹都市です。
    • 小浜市ウィキペディア
  • ブログの効用
    • 頭の体操になります。
    • 頭の整理が自然にできます。
    • 自分の存在証明です。
    • 名刺代わりになります。
    • 求職時のセールスポイントになります。
      • 持続性、堅実さ、努力、才能の証明です。
    • 自分用の空中百科事典になります。
    • したがって、仕事力が大幅アップします。
    • 非公開用のブログも作れば、私的メモになります。
    • 永久保存日誌になります。
    • *大事なことは生活の一部にすることです。「気負わずにしょっちゅう更新」
  • 観光の課題
    • 川越市をテーマに観光の課題をあげると次のようになります。
      • 通りや路地に名前を
      • 案内板を多く
      • 多言語(英、韓、簡体字、繁体字)で
      • 自分の市町村ばかりでなく、近隣市町村の案内と市町村を横断する観光ルートを
      • 観光ルートの多彩化を
        • 偉人をしのぶコース
        • 外国人用コース(中国、台湾、韓国、英語)
        • グルメコース( B級グルメコースも )
        • 健脚コース
        • 広域コース(市町村域を超えたコース)
        • 産業観光コース
        • 小中高生用学習コース
        • ショッピングコース
        • 体験観光コース
        • 大衆文化コース
        • 博物館・美術館コース
        • フラワーツーリズムコース
        • 文学コース
        • 歴史史跡コース
      • 住民のあたたたかい受け入れの心(心の開国)を

2008年2月13日

バグとは

  • bugとは、プログラムのあやまりのことです。
  • bugとは「虫」のことで、コンピュータ内部に虫が入り込んで誤動作を引き起こしたので、この名が付きました。
  • コンピュータのソフト開発現場で働く人をシステムエンジニア(SE)といいます。33万人を必要としていますが、23万人しかいません。

ことば摘録

  • 自子チューママ
    • 自己チューは自己中心主義ですが、自子チューは自分のこども中心主義のことです。
    • クラス替えの前日にこどもが家で「自己紹介がいやだなー。学校休もうかな」とつぶやいているのを聞いたお母さんが学校に猛烈に抗議をしました。
    • そのクラスでは、生徒が自分の名前が書かれた紙を無言で見せるだけの自己紹介がおこなわれました。
    • 古い日本社会崩壊の象徴です。欧米化が極度に進みすぎた結果モンスターペアレンツが増えています。 
      • cf. 『週刊ダイヤモンド』20080126
  • 老舗社会日本
    • 日本には、開業200年以上たつ商店、会社が3000以上あります。
    • 韓国0、中国9、インド3です。
    • 日本では、血縁にとらわれずに、寺子屋のようにお店や会社、地域全体で時間をかけて人を育てる風土があります。 
      • cf. 日経20080127
  • ウィハビリテーション
    • wiiでリハビリをおこなうことをいいま
      • JT20080211
  • マケイン
    • 共和党の大統領候補確実に。「負け犬(マケイン)」のはずだったのに。
  • カンパイ
    • 「完敗」に聞こえるかも。で、「カンショー!!」では?

2008年2月12日

ローマ字で日記をつけていた島津斉彬(なりあきら)

  • 島津斉彬(なりあきら)は、薩摩を、日本を変えました。

  • 1840年のアヘン戦争で中国はやぶれました。次に植民地になるのは、日本です。北上する欧米列強の最初のエジキは、琉球を含めた薩摩藩です。斉彬(なりあきら)が藩主になる1851年のほぼ10年前のことです。

  • ペリーは、日米和親条約(1854年)締結前に、4回薩摩藩に属した琉球をおとずれ、琉球の港、家屋、地質、鉱物の徹底調査をおこなっていました。

  • 鉄砲の伝来、キリスト教の布教といった日本と西欧の出会いの舞台は、薩摩藩です。薩摩の嗅覚がするどくなるのは当然です。

  • 斉彬は、日の丸を考案しました。従来の和船では、100トンしかなく、旗がなくても形からすぐ日本の船だとわかりました。洋式船を建造することになり、日本の船であることを示す旗が必要になりました。1860年、日の丸が国旗になりました。

  • 銃の発射のために、アルコールが必要でした。焼酎のアルコールを使いました。しかし、従来の米焼酎では、コストがかかりすぎます。斉彬は、芋で焼酎をつくるように命じました。今、斉彬がはじめた芋焼酎は、生産が追いつきません。

  • 斉彬は、伝統工芸の薩摩焼を輸出商品に育て上げる努力をしました。今、海外にある日本の焼き物の半分以上は薩摩焼です。

  • 薩摩切子(きりこ)の生みの親は、斉彬です。透明ガラスの外側に色ガラスをかぶせ、色ガラスをカットして文様を浮かび上がらせたものです。水墨画にも通じるぼかしの美は、薩摩切子の独創です。
  • 斉彬は学問を重視しました。造士館、演武館、国学館、洋学所の改革設置をおこないました。江戸、長崎への留学を奨励しました。
  • 斉彬は、多くの蘭学者と交流し、西欧の最新知識を吸収し続けました。ローマ字で日記をつけていました。地球儀を常用していました。
  • 日本最古の写真は、1857年斉彬を写したものです。斉彬は、「父母の姿を100年の後に残す貴重な術」としての写真術の研究を進めました。
  • 薩摩藩は、南からの欧米列強の脅威を身に受けていました。斉彬は、海軍力を重視し、海軍の養成に注力しました。山本権兵衛、東郷平八郎などの逸材は、このような「海の薩摩」の環境の中で生まれました。
  • 在位わずか7年半の間に、斉彬は今日の薩摩、日本の土台をつくりあげました。
  • 斉彬(なりあきら)のプロジェクトは、西郷、大久保らにひきつがれました。特に大久保は各地に民営工場を築き、産業の育成につとめました。
  • い ま、迫りくる新幹線開通の前に薩摩がやるべきことがあります。新幹線が開通すれば、ストロー現象がおこり、博多に鹿児島の養分を吸いとられてしまう懸念が あります。逆ストロー現象を起こす必要があります。斉彬などの築いた産業遺構を桜島、錦江湾などと組み合わせて世界遺産に登録することです。(薩摩人は、 旅人に積極的に笑顔で話しかける必要があります。)
  • 『集成館事業 島津斉彬の挑戦』尚古集成館、2003年
    • 尚古集成館の偉業
      反射炉 溶鉱炉 紡績工場 造船所:最初の洋式軍艦 昇平丸 切子 薩摩焼 写真 活字印刷
  • 島津斉彬(なりあきら) 【画像】
  • 尚古集成館

2008年2月7日

日本の植民地化を救った琉球国

鎖国
  • 江戸時代の鎖国は、キリスト教の禁圧、商業活動の規制を目的としたもので、国際社会からの孤立をめざしたものではありませんでした。
    鎖国ということばが意識されたのは、江戸時代も200年たってからのことでした。
  • 鎖国時代にも4つの窓はあいていました。 幕府は、
    • 松前藩をとおしてアイヌと貿易をおこなっていました。
    • 対馬藩をとおして朝鮮と貿易をおこなっていました。
    • 長崎をとおしてオランダ、中国と朝鮮と貿易をおこなっていました。
    • 薩摩藩をとおして琉球と貿易をおこなっていました。
  • そのころ、琉球は日本ではありませんでしたので、諸国と自由に交易をいとなんでいました。
    薩摩藩は琉球をとおして、世界情勢をさぐり明治維新を実質的に用意しました。
    琉球国とのパイプがなければ、日本は植民地になっていたかもしれません。
  • 日本の植民地化を救った琉球国は、1609年島津の従属下に入りました(1609年= 疲労多くなる薩摩の侵入)。以後過酷な状態におかれ、奪われ続けます。(中国からは与えられこそすれ、奪われることはありませんでした。沖縄人は今も中国びいきです。)
    1879年、琉球国は沖縄県に転落させられました。(1879年= 一夜で泣く泣く沖縄県に)。
    足を踏んだ者は歴史を忘れがちです。

2008年2月5日

なぜ鬼は赤いの?

吉備津神社内の犬養木堂の像

www1.odn.ne.jp/~cad93870/ kibiji.htm

  • 桃太郎は、兄の吉備津彦(きびつひこ)と共に、岡山地方を平定し、そこを吉備(きび)と名付けました。「お腰につけたきびだんご、ひとつ、わたしにくださいなぁ!! 」の「きび」は、吉備のことです。
  • 吉備津彦(きびつひこ)は、岡山市の吉備津神社にまつられています。 ここには1932年の五・一五事件で暗殺された犬養毅(つよし=木堂ぼくどう)の像があります。
    先祖は桃太郎と関係があったのでしょう。
  • 吉備は昔、鉄づくりが盛んでした。
    この古来からの製鉄法をたたら製鉄といいます。
    たたらとは、ふいご(吹子)のことです。
  • 鉄は当時は貴重品でした。
    朝廷から派遣された吉備津彦は、そこをおさめていた豪族を征伐しました。
  • そこで働く人たちの顔は、炎で真っ赤でした。
    鬼の顔が赤く、また鉄棒をもっているのは、製鉄関係者だったからでしょうでしょう。
    海を渡って、製鉄の技術をもたらした鬼は、よそ者ではあっても悪人ではなかった、に違いません。
  • 《 福は内、鬼も内 》 葵句磨
    21世紀は民族の協調の時代です。

愛知県犬山市の桃太郎神社 

www.eiji.net/s30/momotaro/ pic/02.html

2008年2月3日

鬼が何悪いことをしたの?桃太郎さん


  • 桃太郎は、桃から生まれましたが、桃太郎の話はエトから生まれました。
  • 昔、家の北東は鬼門といって、厄除(やくよ)けに桃を植えました。中国の『山海経』に桃の木をたてて鬼の出入りを防いだという話があります。桃は不老長寿の薬、鬼を払う厄よけでした。
  • 鬼門には、牛の角と虎のパンツをはいた鬼が控えています。なぜ、牛のツノと虎のブリーフかというと、鬼門はウシ・トラの方角にあたるからです。
  • 桃太郎(Peach boy)がサル、キジ、イヌを家来にしたのは、キジ、イヌが鬼門(demon's gate)の反対の方角に住んでいるいるからでした。
  • 桃太郎に退治された鬼は何も悪いことをしていなかったようです。
    鉄棒をもっていることでわかるように、自分のところで鉄がとれるので、それをねらわれてほろぼされました。

  • 鬼とは「隠(おに)」のことで、姿がみえないという意味らしいです。

  • 《桃太郎 何をやったの 鬼たちが》 葵句磨

2008年2月2日

なぜ節分の豆まきに相撲取りが招かれる?

  • シコは四股と書きますが、元は 「醜(しこ)」で凶悪な鬼をあらわしました。
    シコを踏むとは、それらの悪鬼を踏み付け、鎮める悪魔払いのことです。
  • 節分の豆まきに力士が招かれるのは、悪霊払いの ためです。
    また、やぐらを場所の始まりに上げるのは、このやぐらに神がやってきて、神に見守られながら、相撲をとるからです。
  • ハッケヨイは、「発気揚々」からきたという説があります。
  • 豆まき(bean-throwing ceremony)の「福は内!鬼は外!」は、"Fortune in, Demons out"となります。