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義経が振りかえりながら登った顔振(かあぶり)峠


電線にかぶさる枝はらい:
電線が被害にあわないようにしょっちゅう見張ります。

頂上からは北に熊谷が:
上の景色のもう少し右が川越です。
川越藩主の娘が義経の妻「京姫」でした。
義経は、ここで何を思いやったのでしょうか?


顔振(かあぶり)峠の碑


歩きやすい心地よい山道

  • 2004年9月14日灼熱の日に、顔振(かあぶり)峠をめざしました。
    顔振峠からは、丹沢、奥多摩、奥武蔵、秩父の山々、もやっていない日には真っ白い富士山もくっきりと望めます。
  • 義経(1159-1189)、弁慶主従が、奥州へ逃れる途中、あまりの眺望のすばらしさに振りかえり、振りかえりしたというので、顔振(かあぶり)峠と名づけられたといいます。
    500メートルの高さです。
  • 顔振峠Google画像
  • 顔振峠【地図】東武越生線の越生駅からバスで黒山で下車します。