ページ

日枝(ひえ)神社は裏鬼門を守る



山王日枝神社も鬼門の位置に


川越の日枝神社:東京の日枝神社の母

喜多院前の日枝神社の看板。【地図

江戸の日枝神社は、1478年川越城主の太田道灌(どうかん)が、江戸城築城の際に、江戸城の敷地内に川越の日枝神社を勧請(かんじょう)したものです。

勧請とは、ロウソクの火を移すように「霊を分け移す、分祀(ぶんし)する」ことです。

日枝神社は、のちに江戸城内の紅葉山(もみじやま)、さらに麹町をへて、現在の千代田区永田町に移されました。


6月15日の日枝神社のお祭りは、山王祭(さんのうさい)とよばれます。
山車(だし)の特色は、江戸城に入り込んで江戸城の地霊をなぐさめる江戸城繰り込みです。

日枝神社の本山は、京都の比叡山(ひえいざん)にあります。
比叡山【地図】

日枝は、日吉とも記し、「ひえ」「ひよし」とも読みます。
日枝神社の神を、山王(さんのう)とよびます。

比叡山の延暦寺を日枝神社が守り、比叡山の延暦寺が京を守リます。

天海は、江戸を東叡山寛永寺の仏、江戸城を日枝神社の神によって守るようにしかけました。

当時の最高の学問は、呪術(じゅじゅつ)でした。
現代は科学で東京を守りますが、当時は呪術で江戸を守りました。

<続>