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春日局、3代 徳川家光の乳母で大奥を整える 10月26日没 <川越の先人

春日局。3代 徳川家光の乳母で大奥を整えた女性政治家。10月26日没 <川越の先人

春日局(かすがのつぼね)

・1579~ 1643年10月26日没。65歳

春日局(かすがのつぼね)は、3代 徳川家光の乳母(うば、母親代わり)になり、大奥を整えます。

川越の喜多院には「家光公誕生の間、春日局化粧の間」が残る
/2009年

















春日局 化粧の間 

喜多院の「家光公誕生の間、春日局化粧の間」は、
徳川家光が江戸城から移築したもので、
江戸城関係で唯一残る遺構です。

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春日局は、家康と共に、
川越の喜多院に天海を訪れました。



文京区春日は、春日局にちなんで付けられた地名です。春日【地図。後楽園近く】

春日通りも同様です。春日通り【地図】

麟祥院(りんしょういん)は春日局の菩提寺です。麟祥院(りんしょういん)

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春日局の父は、斎藤利三(としみつ)です。
斎藤利三は明智光秀の主席家老
でした。


 春日局は3人の男子を生んだあと、夫と離別しました。

幕府の家光の乳母(うば)に公募で選ばれました。


 2代将軍 秀忠夫妻は、
家光よりも2歳年下の弟のほうを溺愛し、
将軍にしようとしました。 


それを察知した春日局は、
お伊勢まいりと称して江戸城を抜け出し、
決死の覚悟で、駿府(すんぷ、静岡市)の家康に直訴
します。


春日局の訴えの結果、
家康は江戸を訪ね、
皆の前で家光が世継ぎであることを宣言
しました。


 これで、家光の3代将軍の地位が確立します。
世に言う
    「春日局 抜け参り(ぬけまいり)」
です。

このこともあり、
家光は祖父 家康を神とあがめ、
春日局を母と慕い
ます。



当時は乳の出る女性が、新生児に乳を飲ませる
    「乳付け(ちつけ)」が
当たり前です。

乳母(うば)の性格、容貌は乳児(にゅうじ)にうつるとされ、
選定はきびしくおこなわれました。

「春日局(かすがのつぼね)」の称号は天皇から授けられたものです。


春日局は、大奥の制度を整え、絶大な権勢を振いました。
老中の堀田正盛、松平信綱らにも大きな影響を与えました。

1643年9月14日に65歳でなくなりました。
家光は7日間の喪に服しました。
    天海も同じ1643年になくなりました。

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春日局の縁故者は、取り立てられました。
元の夫は、大名に累進しました。
夫の子も、家光に近侍し、1万石の大名になりました。
その子は、4代家綱、5代綱吉に仕えて、ついには大老になりました。
 







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【川越観光の増加


1989年(平成元年)、NHKの大河ドラマ『春日局』により、
川越市へのに観光客が増加
し始めました。
また川越は、2009年(平成21年)には連続テレビ小説「つばさ」の舞台となりました。