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粂原恒久 住職。蓮馨寺ものがたり。かつては檀林(僧侶養成大学)。 

粂原恒久 住職。蓮馨寺ものがたり。かつては檀林(僧侶養成大学)。 
川越の蓮馨寺(れんけいじ)
粂原恒久(くめはら こうきゅう)蓮馨寺住職
2009年10日20日、
粂原恒久 蓮馨寺(れんけいじ)住職、小江戸川越観光協会会長に、
蓮馨寺にまつわるお話をいただきました。
(NPO武蔵観研 主催)

以下は講演要旨です。
【※】東上線沿線の情報誌『東上沿線物語』にテープ起こし、入力をおねがいしました。記して、感謝します。
元原稿を読みやすくいたしました。


蓮馨寺ものがたり 

★ 浄土宗の宗祖は法然上人

蓮馨寺は浄土宗に属するお寺です。
浄土宗は全国に7200ヶ所ほどの寺院を展開しています。
京都の知恩院が「総本山」、
関東では鎌倉・光明寺と東京芝・増上寺が「大本山」
という形で教線を広げてきました。

浄土宗は、南無阿弥陀仏唱えて
真善美の世界である浄土を目指してよりよく生きようとする宗派です。

その教義は、地球上の無量の命が
我々一人ひとりに大きな力を降り注ぎ、
生かしてくれているという感謝の気持が基本になっています。

「南無阿弥陀仏」の「南無」は感謝する、
「阿弥陀」とは、はかり知れない命をもつ者という意味です。
阿弥陀仏という仏様に感謝し、向上しようとする宗教です。

ですから、どの宗派とも仲良くでき、非常に穏やかです。

宗祖は法然上人です。
法然は鎌倉時代に庶民を檀家に持つ仏教を初めて開いた方で、
元祖・法然上人」と呼びます。
今よく使われる「元祖」とは元々法然のことだったんです。



★ 大道寺駿河の守の母、蓮馨大姉

蓮馨寺は、徳川家康が天下を取る前に
川越に創建されていました。

太田道灌の作った川越城に後北条の一族である
大道寺政繁が
城代として入ってきました。

大道寺政繁は浄土宗の檀家です。
母が出家して蓮馨大姉という尼さんになり、
1549年に蓮馨寺を開きました。

「蓮馨(れんけい)」とは「極楽浄土の蓮の香り」という意味です。
蓮馨寺墓地には蓮馨大姉の供養碑、板碑(いたび)があります。


蓮馨寺の創建に当たって、
感譽存貞(かんよぞんてい)上人という方が
初代の住職となりました。

感譽存貞上人は非常に学問に優れた方で、
後に大本山増上寺の第10代法主(ほっす)となりました。

増上寺を中心に僧侶養成大学・十八檀林の制が家康の指示で設けられました。蓮馨寺も入りました。


檀林(だんりん)は15歳で入山し、3年ごとに9部修学、
27年間仏教全般を学びます。
42歳で正式な坊さんになるわけです。

感譽存貞上人は7~8ヶ所のお寺を作りました。
川越にある浄土宗の寺4カ所寺のうち3つが存貞上人の創建です。


初代・感譽存貞上人の弟子分であった源譽存応(げんよぞんのう)上人は、
(蓮馨寺から)今のさいたま市与野の長伝寺に移り、
学徳を積み、増上寺の12代目の法主になりました。


【※】蓮馨寺出身の増上寺の法主:感譽存貞。源譽存応

増上寺は元々東京・平河町にありましたが、
源譽存応は徳川家康と気が合ったようです。

浄土宗の檀家であった家康は、
江戸にも菩提寺を設けようと増上寺を大きくして
今の芝公園に移したということです。


家康は、仏教宗派のもう一つの雄であった天台宗の
天海僧正を宗教アドバイザーにしました。

天台宗の本山は京都・比叡山延暦寺でしたが、
東叡山・寛永寺を作り、勢力を2分させました。

増上寺に埋葬された将軍は6人で、他の6人は天海の寛永寺です。

源譽存応上人が増上寺で法主をしているときに、
修行僧として入ってきたのが、呑龍(どんりゅう)上人なんです。

春日部の武士の子で、
家の前の円福寺という浄土宗の寺で読み書きを習ったところを、
住職に才能を見込まれ、15歳で増上寺の学寮に入ることになりました。


★ 子供を救った呑龍上人

家康は、自分の先祖は新田(にった)氏だとして、
群馬県太田に先祖をおまつりする寺として大光院を開きました。
増上寺の源譽存応に相談して、呑龍が最初の住職にしました。

当時の農家は不作の時は、食うや食わずで、
子供を間引きしたり売ってしまったりということがよくありました。

呑龍上人は、「それなら私に預けなさい」と、
子供の頭をまるめて修行僧として登録し、
勉学させ寺の領地であがるお米を食べさせて救いました。

呑龍上人のおかげで、一家の系統が途絶えないで済んだと、
いまだに月一回米を奉納する習慣が続いています。

貧困家庭の子供さんも同様に救っていきました。

呑龍上人は増上寺の修行の間に
実家に帰る折や連絡のためなどで、蓮馨寺に立ち寄り、
子供たちに読み書きそろばんを習わしたりしていたようです。

蓮馨寺はその縁で呑龍上人をまつるようになりました。


蓮馨寺にある「おびんづる様」は、
釈迦の弟子の一人です。

喜多院の十六羅漢の一人でもあります。
お釈迦の命で、寺の外にあって各地をめぐり
多くの人々を救った方でした。

そのため、今でも呑龍殿の外にまつられ、おびんづる様のお体にさわると、
その霊力が頂けるとされ、大人気な仏様になっています。


*     *     *
【注】

蓮馨寺には、歴代将軍の位牌が安置されています。

また、家康の書簡や太閤秀吉の朱印状も残っています。