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正岡子規の「子規」とはホトトギスのこと 

ホトトギス

「鳴いて血を吐く ホトトギス」といわれるように、ホトトギスは口の中が赤いので、鳴くと血を吐いているように見えます。

正岡子規(シキ)は、22歳で結核になり喀血(かっけつ)したとき、ペンネームを子規にしました。
子規とは「ほととぎす」のことです。

子規は野球が好きで、「打者」「走者」「直球」などは子規の翻訳語です。


正岡子規記念球場
「正岡子規記念球場」は、上野公園内にあります。


子規は1897年俳句雑誌『ホトトギス』を主宰し、写生俳句を首唱しました。
門下には
    高浜虚子、
    河東碧梧桐(かわひがし へきごどう)、
    伊藤左千夫、
    長塚節(たかし)
がいます。

夏目漱石とは学生時代から交友がありました。

子規の出身地・松山市は俳句の盛んなところです。

子規は、日露戦争を勝利にみちびいた秋山好古、真之(さねゆき)とも交流がありました。
司馬遼太郎『坂の上の雲』に交友録が描かれています。

<「卯の花の
散るまで 鳴くか
子規(ホトトギス)」>

俳句が盛んな松山市
愛媛新聞 2003/3/18
松山市は俳句が盛んです。

俳句ポストは、市内の要所に設置されています。
句碑は300基以上散在しています。
銀天俳句館

持参の折りたたみ自転車にて。2003/3/18朝5時

銀天街アーケード入り口
松山市駅側高島屋横
松山の繁華街は一番町の大街道(おおかいどう)から始まります。
大街道(おおかいどう)は日本初の開閉式アーケードです。
大街道から銀天街、さらに地下街のまつちかタウンを経て松山市駅へと続きます。


川越の子規の碑、台東区の子規庵 、松山市立子規記念博物館