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天海、比叡山延暦寺で学ぶ

天海は1536年福島県の会津美里町で生まれました。
1546年11歳のときに、父が殺されたらしく、出家しました。
出家とは僧侶になることです。
自宅近くの龍興寺に出家しました。

14歳より修行を深めるために地元を離れて、いろいろな寺を訪ね、勉学を重ねました。

18歳のときには、遠く京都の比叡山で天台教学を学びました。
天台宗の総本山、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)は最澄(さいちょう)が788年に開きました。

法然(ほうねん、浄土宗)、
栄西(えいさい、臨済宗)、
親鸞(しんらん、浄土真宗)、
道元(曹洞宗、そうとうしゅう)、
日蓮(日蓮宗= 法華宗)
といった鎌倉新仏教の開祖たちも比叡山で学びました。

比叡山は日本仏教の母山といわれ、一大総合大学のようなものでした。
かつては「山」といえば比叡山をさしました。

1571年、天海36歳の時、比叡山延暦寺が織田信長により焼き討ちされました。
当時、延暦寺の僧たちは、浅井・朝倉側について、信長に対抗していました。
天海は明智光秀の世話で、甲斐の武田信玄の元に身を寄せました。
信玄(出家後の法名。晴信)は、天海を厚遇し、天海も天台の講義などで一座をうならせます。

1607年、天海は徳川家康の命により、比叡山探題奉行となり、内輪もめの激しかった延暦寺をまとめ、信長焼討による全焼後の延暦寺を再建します。
探題(たんだい)とは、宗教の最高権威者のことです。

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会津美里町 地図

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