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1613年、天海、日光山の貫首(かんじゅ)に


1613年天海は、日光山の貫首(かんじゅ)も兼任します。
貫首とは、天台宗の大寺の住職のことです。
日光にはのちに家康の霊をまつる東照宮が建立されます。

日光山は、鎌倉室町時代には隆盛をきわめました。
しかし北条側につき、豊臣秀吉に敵対したことで、力をそがれてしまいました。

その立て直しをはかったのが、天海でした。

この年、天海は77歳、家康は71歳でした。

天海は、家康を駿府城に訪問し、天台論議法要をおこないました。
家康は喜多院に参詣し、天海の天台論議法要を聴聞します。
家康は、喜多院に寺領500石を寄進します。

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