江(ごう)は、2代 徳川秀忠の正室。信長の妹(お市)の娘。系統には6将軍と天皇が。 11月3日没
江(ごう) |
・1573年8月~1626年11月3日没。53歳
江(ごう)は、浅井三姉妹の末っ子です。
長姉は淀君(豊臣秀吉の側室)、2番めの姉(次姉)は初(京極高次の正室)です。
父は、浅井(あざい)長政です。
江(ごう)の母は、信長の妹・お市(いち)です。
浅井長政は信長によりほろぼされました。
お市(いち、信長の妹)と浅井三姉妹は、織田信長に養われます。
母・お市は信長の重臣・柴田勝家に再嫁します。
しかし柴田勝家は豊臣秀吉に攻められて、
お市は柴田勝家とともに自害します。
2度の落城で、浅井三姉妹は父 浅井長政、母 お市をなくします。
お市は柴田勝家とともに自害します。
2度の落城で、浅井三姉妹は父 浅井長政、母 お市をなくします。
権力者たちの意のままの結婚、人生を歩むことになります。
江(ごう)は、最初の夫とは、
豊臣秀吉により強制離縁させられました。
2番目の夫は豊臣秀吉の養子の豊臣秀勝で、戦死します。
江(ごう)は、最初の夫とは、
豊臣秀吉により強制離縁させられました。
2番目の夫は豊臣秀吉の養子の豊臣秀勝で、戦死します。
3番目の夫が2代将軍・徳川秀忠(1579-1632、53歳)です。
江(ごう)より6歳年下です。
7人の子をもうけます。
7人の子をもうけます。
江の子・3代将軍 家光には、4人の将軍と天皇が誕生します。
江(ごう)の系統には、6将軍と天皇が入っています。
江(ごう)は、お江、崇源院(すうげんいん)、と記されることもあります。
江(ごう)の家系、人物相関図
江(ごう)の父は浅井(あざい)長政。
母・市は、織田信長の妹。
江(ごう)は、
最初の夫とは夫が反秀吉陣営についたため、
強制離縁。
2番目の夫は豊臣秀吉の養子の豊臣秀勝。
戦死。
3番目の夫が2代将軍・徳川秀忠。
江の息子・3代将軍・家光には、4人の将軍と天皇が。
4代将軍・家綱
5代将軍・綱吉
6代将軍・家宣
7代将軍・家継
江の第7子・和子(まさこ)は、
明正(めいしょう)天皇を生みます。
明正天皇は約900年ぶりの女帝です。
<* 宮廷では濁音をきらうので、「まさこ」に読みを変えました。>
母・市は、織田信長の妹。
江(ごう)は、
最初の夫とは夫が反秀吉陣営についたため、
強制離縁。
2番目の夫は豊臣秀吉の養子の豊臣秀勝。
戦死。
3番目の夫が2代将軍・徳川秀忠。
江の息子・3代将軍・家光には、4人の将軍と天皇が。
4代将軍・家綱
5代将軍・綱吉
6代将軍・家宣
7代将軍・家継
江の第7子・和子(まさこ)は、
明正(めいしょう)天皇を生みます。
明正天皇は約900年ぶりの女帝です。
<* 宮廷では濁音をきらうので、「まさこ」に読みを変えました。>
江(ごう)の系統には6将軍と天皇が
江の系統には、
・夫の2代秀忠、
・息子の3代家光
をはじめ、
・4代家綱、5代綱吉、6代家宣、7代家継の計6将軍と
・天皇
が入っています。
1.千姫は、豊臣秀頼に嫁ぎました。
2.珠姫は、加賀藩主・前田利常に嫁ぎました。
3.勝姫は、越前藩主・松平忠直に嫁ぎました。
4.初姫は、江(ごう)の姉・初の養女となり、松江藩主・京極忠高に嫁ぎました。
5.家光は、江戸幕府第3代征夷大将軍となりました。
6.忠長は、改易となりました。
7.和子(まさこ)は、後水尾天皇女御として入内しました。第109代明正(めいしょう)天皇の母となりました。
明正天皇は約900年ぶりの女帝です。
<* 宮廷では濁音をきらうので、「まさこ」に読みを変えました。>
3代将軍・徳川家光は、江(ごう)の子です。
川越の喜多院には、徳川家光の誕生の間があります。
川越大火で喜多院が焼けた時、徳川家光が天海僧正をおもんばかって、
江戸城より移築したもので、江戸城唯一の遺構です。
川越人は家光びいきです。
徳川家光の山車(だし)もあります。
徳川秀忠の山車(だし)はありません。
<* 川越をめぐると、江戸を身近に感じるようになります。>