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日光東照宮の年表

1613年
天海、家康の命により日光山を管理。
 <*  天海は、日光山の主体を二荒山の神から東照宮に移しました。>

1616年
4月1日
徳川家康は、枕頭で本多正純、天海、崇伝に遺言しました。「遺骸は久能山に埋葬し、葬儀は増上寺で営み、位牌を三河の大樹寺に立て、日光山に小さい堂を建てて勧請せよ」。
4月17日  
徳川家康、駿府(静岡)で死去。
10月
2代秀忠、東照宮の造営に着手。
 <* 1645年までは「東照社」であるが、便宜上、「東照宮」で統一してあります。 >

1617年
2月
徳川家康に朝廷より「東照大権現」の神号が贈られます。

3月(?)
東照社、完成。
4月

徳川家康の遺骸(いがい)を久能山東照宮から日光東照宮へ改葬。

1622年
2代秀忠、社参。

1625年
3代家光、社参。

1626年
日光の杉並木に植樹。以後20年以上。

1634年
東照宮の大改築に着手。1636年4月まで。
 <*  「費用お構いなし」の幕府負担の大事業でした。>

9月
3代将軍家光が日光社参

1645年
朝廷から宮号を受け、東照社から東照宮に改称。

1646年
朝廷より、進物を奉納する日光例幣使(れいへいし)、開始。1687年まで。

1648年
家康33回忌に3代将軍家光社参。

1655年
輪王寺宮門跡が創立されました。
後水尾天皇の皇子・守澄親王が、日光と上野との両門主を兼ねるようになりました。

1728年
8代吉宗社参。

1776年
10代家治社参。

1843年
12代家慶(いえよし)社参。最後の社参。

1868年
神仏分離令により、日光は2社1寺(東照宮・二荒山神社+輪王寺)に分立。

1985年
神社本庁を離れて単立神社に。

1999年
ユネスコ世界遺産に。

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* 東照宮は、徳川家康を東照大権現という神にまつった神社です。

* 将軍の社参
秀忠は将軍として3回社参。他に1回。
家光は9回。他に1回。
その後は財政難で、8代吉宗、10代家治、12代家慶(いえよし)のみ。

*東照宮は、神仏が同居している稀有の例です。

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