平治(へいじ)の乱で源氏をおさえて、
太政(だいじょう)大臣に登りつめます。
1156年の保元(ほうげん)の乱は、
太政(だいじょう)大臣に登りつめます。
1156年の保元(ほうげん)の乱は、
後白河(ごしらかわ)天皇
と
崇徳(すとく)上皇
との争いです。
両グループとも、平氏、源氏の武士に加勢をたのみました。
【※】受験 1156年 保元の乱 ◇ いいころ保元、後白河
*後白河が崇徳上皇をくだす。平清盛、源義朝の進出のきっかけに。
後白河天皇方が勝利します。
後白河天皇についたのは、平清盛、源義朝です。
この乱により、公家の世から武家の世が来ることになります。
1159年の平治の乱は、平清盛と源義朝との京都でのたたかいです。
平清盛が勝ち、源義朝は殺され、息子の頼朝は伊豆へ流されました。
平清盛は、頼朝を助命しました。
【※】受験 1159年 平治の乱 ◇ いちいちご苦労、平治、清盛
清盛は、のちに後白河上皇と対立し、院政をやめさせました。
両グループとも、平氏、源氏の武士に加勢をたのみました。
【※】受験 1156年 保元の乱 ◇ いいころ保元、後白河
*後白河が崇徳上皇をくだす。平清盛、源義朝の進出のきっかけに。
後白河天皇方が勝利します。
後白河天皇についたのは、平清盛、源義朝です。
この乱により、公家の世から武家の世が来ることになります。
1159年の平治の乱は、平清盛と源義朝との京都でのたたかいです。
平清盛が勝ち、源義朝は殺され、息子の頼朝は伊豆へ流されました。
平清盛は、頼朝を助命しました。
【※】受験 1159年 平治の乱 ◇ いちいちご苦労、平治、清盛
清盛は、のちに後白河上皇と対立し、院政をやめさせました。
清盛は思うがままの政治をおこない、
「平家にあらずんば、人にあらず」といわれる
平氏一色の世の中をつくります。
1168年、満50歳の時、熱病で生死の境をさまよい、出家します。
厳島(いつくしま)神社を造営します。
清盛は、西国を基盤に、対宋貿易に積極的にとりくみます。
茶、陶磁器、生薬などを輸入します。
宋との貿易のもとでになったのは、奥州でとれるようになった金です。
1171年、平清盛は、娘を、高倉天皇の后にしました。
高倉天皇は、清盛のあやつり人形です。
7歳で即位し、20歳で退位し、翌年なくなりました。
1180年、娘の子・安徳天皇を即位させました。
平治の乱のほぼ20年後、
源頼朝が1180年伊豆で旗揚げします。
富士川の戦いでは、平家軍を戦わずして敗走させます。
各地で源氏が挙兵するさなかに、
平清盛は熱病に感染しなくなります。
遺言は「伊豆の流人(るにん)、頼朝の首をわが墓の前におくべし」です。
1185年、平家は壇ノ浦でほろびます。
平清盛 武士の世の中へ NHK
「平家にあらずんば、人にあらず」といわれる
平氏一色の世の中をつくります。
1168年、満50歳の時、熱病で生死の境をさまよい、出家します。
厳島(いつくしま)神社を造営します。
清盛は、西国を基盤に、対宋貿易に積極的にとりくみます。
茶、陶磁器、生薬などを輸入します。
宋との貿易のもとでになったのは、奥州でとれるようになった金です。
1171年、平清盛は、娘を、高倉天皇の后にしました。
高倉天皇は、清盛のあやつり人形です。
7歳で即位し、20歳で退位し、翌年なくなりました。
1180年、娘の子・安徳天皇を即位させました。
平治の乱のほぼ20年後、
源頼朝が1180年伊豆で旗揚げします。
富士川の戦いでは、平家軍を戦わずして敗走させます。
各地で源氏が挙兵するさなかに、
平清盛は熱病に感染しなくなります。
遺言は「伊豆の流人(るにん)、頼朝の首をわが墓の前におくべし」です。
1185年、平家は壇ノ浦でほろびます。
平清盛 武士の世の中へ NHK
* * *
・ 平清盛と西行(さいぎょう。歌人)は同年の1118年生まれです。
・ 平氏の政権はなぜ短命だった?
経済力はもっていましたが、武士が世の中を動かすことがわからず、
貴族政治を続けたからです。
平氏の政権は20年足らずで終わりますが、
源氏の政権は100年以上も続きます。
源氏の政権は、公家の京都から都を鎌倉に移します。
政権の基盤を、公家ではなく、武士に置きます。
* * *
★ 平氏も源氏も祖先は皇族
平氏は、祖先は皇族です。
桓武(かんむ)天皇の血を引く桓武平氏です。
桓武天皇の時代に、臣籍降下(しんせきこうか)したので桓武平氏とよばれます。
臣籍降下は、財政の負担をへらすために、皇族の数を減らす策でした。
川越の河越重頼も桓武平氏の傍流・秩父平氏の一族です。
河越重頼
源氏も、祖先は皇族です。清和源氏が有力です。
皇族は、姓をもっていません。臣籍降下して姓を持つようになります。
* * *
観光スポット
・京都
・神戸: 都を移そうとしたところです。
・山口市、壇ノ浦: 源平合戦
・広島県、宮島の厳島神社:平清盛が造営
・ 平清盛と西行(さいぎょう。歌人)は同年の1118年生まれです。
・ 平氏の政権はなぜ短命だった?
経済力はもっていましたが、武士が世の中を動かすことがわからず、
貴族政治を続けたからです。
平氏の政権は20年足らずで終わりますが、
源氏の政権は100年以上も続きます。
源氏の政権は、公家の京都から都を鎌倉に移します。
政権の基盤を、公家ではなく、武士に置きます。
* * *
★ 平氏も源氏も祖先は皇族
平氏は、祖先は皇族です。
桓武(かんむ)天皇の血を引く桓武平氏です。
桓武天皇の時代に、臣籍降下(しんせきこうか)したので桓武平氏とよばれます。
臣籍降下は、財政の負担をへらすために、皇族の数を減らす策でした。
川越の河越重頼も桓武平氏の傍流・秩父平氏の一族です。
河越重頼
源氏も、祖先は皇族です。清和源氏が有力です。
皇族は、姓をもっていません。臣籍降下して姓を持つようになります。
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観光スポット
・京都
・神戸: 都を移そうとしたところです。
・山口市、壇ノ浦: 源平合戦
・広島県、宮島の厳島神社:平清盛が造営