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イスラム、パレスチナ問題は、イギリスの三枚舌から。サイクス・ピコ協定

ジョン・ブル(John Bull、英国人)  http://goo.gl/nchMQ
【2009年作】

イスラム圏ではユダヤ教徒を、伝統的に保護する政策をとってきました。

イスラム教徒にとり、ユダヤ教徒やキリスト教徒は自分たちと同じ神を信仰する仲間であり、親しみの目で見ていました。

エジプトの1割はキリスト教徒です。

ヨーロッパはユダヤを差別し、ナチスのホロコーストを影で支えました。

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パレスチナ問題は、解決の糸口が見えません。

イギリスの狡猾な三枚舌外交が、両者を不倶戴天の敵に仕立て上げました。

イギリスは、インド、パキスタンにおいても、両者を戦わせながら、自分は無償で撤退するというやり方をとリました。

イスラエルは、イギリスの中につくるべきです。

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1914年、第一次世界大戦が起こりました。
オスマン・トルコ(1299- 1922)はドイツ側に立ちました。

逆に、トルコに支配されていたアラブは、イギリス、フランス側に立ちました。

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1)
1915年、イギリスはアラブとの間に、アラブの独立を約束するフサイン=マクマホン協定を結びます。(※1)

2)
この間、1916年イギリス、フランス、ロシアは、戦後アラブの重要地域を三者で分割支配する秘密協定、サイクス・ピコ協定(※2)を結びます。

サイクス・ピコ協定。
上から、濃い青:フランス統治、
薄い青:フランスの勢力圏、
薄い赤:イギリスの勢力圏、
濃い赤:イギリス統治
http://goo.gl/44ROx
3)
さらに、1917年イギリスの外務大臣バルフォアは、ユダヤ人がパレスチナ(今日のイスラエルとヨルダン西部)の地にイスラエルを建国することに賛成する書簡をユダヤ人の大富豪ロスチャイルドに送りました。
バルフォア宣言といいます。(※3)
この宣言は、アラブとの約束を無視するものでした。

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第一次大戦後、負けたドイツには過酷な講和条約が押し付けられました。
また、ドイツに組したオスマン・トルコ帝国は解体されました。

エジプト、サウジアラビアは独立を認められました。

しかし、シリア、パレスチナ地方は、メソポタミア油田からのパイプライン確保のため、イギリス、フランスによる統治が依然続けられました 。

1948年、ユダヤ人は、イギリスなどの賛同を得て、パレスチナ地域にイスラエルを建国しました。

ここから、パレスチナ(アラブ・イスラエル)問題が始まります。

アラブ・イスラエル問題の発端は、アラブとユダヤの双方におなじ土地での独立を約束したイギリスの三枚舌外交にあリます。

イスラエルの建国はイギリスの国内になされるべきです。

(※1)フサイン=マクマホン協定
(※2)サイクス・ピコ協定
(※3)バルフォア宣言  【抜粋】↓

「親愛なるロスチャイルド卿

英国政府は、ユダヤ人がパレスチナの地に国民的郷土を樹立することにつき好意をもって見ることとし、その目的の達成のために最大限の努力を払うものとする。(略)

貴殿によって、この宣言をシオニスト連盟にお伝えいただければ、有り難く思います。

敬具
アーサー・ジェームズ・バルフォア」


【付記】

イギリスはこのようなことをよくやります。
その他の老練国も同様です。

東アジア諸国は、百年の大計を立てる必要があります。

深い時代認識に立って、冷静に行動する必要があります。

あれほど戦争をやり、いがみあっていた英・独・仏が、仲よくやっているのですから。

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