復興は地域の目線で 入間田宣夫さんに聞く
東北から風を起こそう 独自の文化、忘れずに
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- 2012/2/4付
- 日本経済新聞 夕刊
- 2388文字
「東北学」は東北地方から地域密着で歴史、文化を見直す研究
東日本大震災から約11カ月。悲しみや苦しみを乗り越えて、被災者の頑張りや粘り強さが目立つ。東北人の本質は何なのか。それを知りたくて、「東北学」の拠点である東北芸術工科大学・東北文化研究センターを訪ねた。昨年1月から2代目所長を務める入間田宣夫教授が雪深い山形市郊外のキャンパスで、温かく迎えてくれた。
「日本にはいくつもの日本があり、東北にはいくつもの東北があるという考え方から、初代所長の赤坂憲雄氏(現・学習院大教授)が提唱したのが東北学。東北を基軸に日本の歴史や文化を見直そうという総合的な研究、運動です。共鳴していた私は、山形大学で教え、山形県史の編さんに携わった経験から山形にほれ込んでいたこともあり、東北学を本格的に追究したいと当センターに来ました」
「東北学では古代からの東北人の暮らしを研究していますが、これまでにも何度となく地震や津波に見舞われ、さらに度重なる大飢饉(ききん)など自然災害を経験してきた。しかし常にそれを克服してきた歴史がある。東北の文化や歴史を、民俗学、歴史学、考古学などを総結集して研究、再発掘、その成果を情報発信していきたい。東京やかつて都だった京都の目線ではなく、東北の目線から文化や歴史を組み直していく。それによって画一的な政策ではなく、東北それぞれの地域にあった復興を考えたい。同時に東北学の成果をもとに、東北人が東北らしさを忘れずに自信を持って生きてほしい」
「一例を挙げると、奥州藤原氏が鎌倉幕府に滅ぼされた戦いを、以前は奥州征伐と呼んでいたが、これは辺境の逆賊を征伐するという中央側の見方。史料的にも奥州合戦が正しいので、私が主張し始めてから学界でも奥州合戦と呼ぶようになった。前九年の役(えき)、後三年の役も、役には異民族を征伐するというような意味があるので前九年合戦、後三年合戦が正しく、今後、歴史教科書も書きかえられていくはずです。中央からの上から目線で歴史や文化を語ってはいけない。地域から日本の姿を見直す必要があります」
江戸時代の三陸海岸は先進地域だった
歴史に培われた東北人気質が、本当に大震災をはねのけるエネルギーになっているのだろうか。
「まず、『東北地方は自然が厳しく、暮らしが貧しく文化も遅れていたからこそ、我慢強い性格が培われた』という見方は、まさに東京的見方。明治以降の知識人が創造したものです。東北地方でも内陸部と海岸部ではかなり気質は違うし、十把ひとからげに決めつけるのは正しくありません。被災地である三陸海岸は貧しいといわれているが、実は江戸時代、海を通じてかなりの物産を長崎に出していた。さらに長崎を通じて世界と交易があった。三陸海岸の人々は決して貧しくないし、情報や人的交流も活発だった。民度は高く、開放的で創造性も高かった。三陸海岸で一揆が頻発したが、貧しいからではなく、人々の問題意識が高かったからこそ、権力に反発したのです。こうした気質は今も根付いており、必ずや被災地は立ち直ると信じています」
「もう一つ言えることは、死者に対する思い、先祖を敬う気持ちが東北全体に強いことです。地震や津波で亡くなった人々の弔いの様子を見て、改めて実感しました。歴史的には中尊寺金色堂がいい例です。人々は藤原氏3代の遺体(ミイラ)を祭り、永遠に自分たちを見守ってほしいと願い、平泉の繁栄を託しました。ここにも復興のエネルギーの源を感じ取ることができます」
平泉は中世日本の中心の一つ
中尊寺や毛越寺をはじめとする平泉の寺院、庭園群が昨年6月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録された。この知らせは震災に打ちひしがれていた東北地方の人々に大きな喜びと勇気を与えた。
「平泉の文化遺産は、奥州藤原氏が仏教立国を目指し、寺院を建立して人心を戦争から平和に導こうとしたものです。奈良や京都が中国をモデルにした都市づくりであったのに対し、日本史上初めて、日本独自の都市づくりを進めた。かつて平泉は東北の小京都と呼ばれたが、正しくはありません。居館と寺院をセットにした独自の都市づくりであり、日本の城下町モデルの最初でした。後の鎌倉幕府も江戸幕府も、平泉をモデルにして城下町を建設したのです。それならば鎌倉幕府の前に平泉幕府があったと言ってもいい。鎌倉との天下分け目の決戦に敗れ、滅びはしましたが」
「出土品から平泉は海外との交易も盛んだったことが分かっており、その仲介をしたのが民間の商人でした。彼らは博多の中国人街の商人と直接交易をして、平泉の栄華を支えた。マルコ・ポーロが『東方見聞録』の中で、日本を黄金の国ジパングと記述していますが、これは中尊寺金色堂の存在を伝え聞いて、想像を膨らませた結果だと考えられています」
「平泉がかつて日本の中心の一つであったことはもっと評価されてもいい。東北人は平泉の偉大な経験に学んで、中央の力を頼らずに、自らの力で新しい日本をつくっていってほしいと願っています。私は東北から風を起こそうよと訴えています」
「今回の震災だけではありません。東北地方はこれまでに経験したことのない新たな危機に直面しています。少子高齢化と人口減少で、限界集落が至る所に生まれていること。これが東北学の今の最大の課題であり、解決策を見つけていくことが、地域密着で日本全体の将来を考えることにつながると思います」
(編集委員 木戸純生)
いるまだ・のぶお 東北芸術工科大学大学院長・東北文化研究センター所長。1942年宮城県涌谷町生まれ。東北大文学部卒、同大教授などを経て2006年から東北芸工大教授。専門は日本中世史。平泉の世界遺産登録では推薦書作成委員。NHK大河ドラマ「炎立つ」の監修も。著書に「都市平泉の遺産」など。
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