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女川原発の功績と教訓 (NK2012/8/20)


核心女川(おながわ)原発の功績と教訓
立地の弱点どう克服 編集委員 滝順一

 「あれほどの地震にもかかわらず構造物への影響が少ないのに驚いた」
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 国際原子力機関(IAEA)のスジット・サマダー耐震安全センター長は10日、都内での記者会見で、東北電力の女川原子力発電所(宮城県女川町、石巻市)について、こう述べた。
 IAEAは19人の専門家からなる調査団を7月下旬から約2週間、女川原発に派遣した。昨年3月11日の大地震で生じた損傷を調べ、世界の原発の耐震安全に役立てる目的だ。
 女川には東京電力の福島第1原発とほぼ同型の3基の沸騰水型軽水炉がある。福島と並ぶ激しい揺れ(最大加速度567.5ガル)によって発電所に電気を送る5回線の送電線のうち4つが使えなくなった。残った1回線で所内の電力を維持、原子炉の自動停止後およそ10時間で3つとも冷温停止させるのに成功した。
 振動で電源盤がショートし火災が起きた。また発電タービンが傷ついたが、深刻な損害はなかった。耐震面で「十分な余裕があった」(サマダー氏)とIAEA調査団は結論づけた。
 津波はどうだったか。震災後広く知られるようになったが、女川原発の敷地は海抜14.8メートルと高かった。地震で地盤が1メートル沈み込んだが、高さ13メートルの津波をかろうじて防げた。
 取水口にある潮位計の配管を海水が逆流し、建屋にまで流れ込む想定外の事態はあった。しかし非常用ディーゼル発電機は無事で、万一の外部電源喪失に備えてスタンバイしていた。
 明かりがともった発電所は周辺住民の避難所になった。11日夜から発電所は津波で家を失った人たちの受け入れを始め、最も多い時には364人の人々が所内に難を逃れた。
 女川原発が福島第1に比べ高い場所に建設されたのは、東北電力副社長を務めた平井弥之助氏の進言とされる。津波の高さが約3メートル(後に9.1メートルに改定)と想定されていた時期に、平井氏は明治三陸津波や貞観地震の記録を踏まえ高い場所に建てるよう主張、反対を押し切って実現させた
 自然災害への畏れを忘れない平井氏の設計思想は他でも貫かれた。新潟火力発電所(新潟市)の建設では、軟弱地盤に当時としては最大級のケーソン(箱形構造物)を埋め、その上に建物を置いた。同火力はマグニチュード7.5の新潟地震(1964年)を持ちこたえた。
 平井氏の後輩で、その仕事ぶりに詳しい大島達治さんの話では「地震で新潟火力が燃えているとの報道に接した松永安左エ門は『平井がつくった発電所が壊れるわけがない』と言いきった」そうだ。
 松永は戦前の東邦電力の社長。戦後は官の介入を嫌って民による電力供給体制の元をつくった。平井氏は松永の下で働いた時期があり信頼が厚かったとされる。平井氏が東北電力を辞めると、松永は自らが設立した電力中央研究所に迎えた。女川原発の設計時点で平井氏はすでに電中研の技術研究所長。社外の有識者として古巣にもの申した。
 原発を守った平井氏の設計思想と、丹念に耐震を施した今の東北電力の技術者の功績は世界に誇っていい。女川原発は震災後、防潮堤をさらに3メートル積み増す工事を終え、もう一段の耐震補強も計画している。
 しかし大震災を乗り切ったとは言え、女川原発が今後も運転を続ける十分な資格を持つかといえば、そこには難しい要素もある。女川にも弱みがある。
 牡鹿半島のほぼ中央にある原発まで3つの道路が通ずるが、地震の時は土砂崩れなどで寸断された。原発が仮に非常事態に陥った際、住民を逃がし、必要な人員や資材を送り込む輸送路が脆弱と言わざるを得ない。資材や人員を収容する敷地内のスペースにもそれほど余裕がない。
 震災直後、東北電力は避難住民のための食糧を運び込み、妊婦や病気の住民を送り出すのに空路、ヘリコプターに頼った。
 非常時のロジスティックス(後方支援)の問題は、女川に限らず、山がちな海岸線に建てられた日本の多くの原発に共通する弱点だ。福島第1は輸送路や敷地の広さではむしろ恵まれていたとすら言える。
 その福島もロジスティックスに苦しんだ。東電が公開したビデオ映像には、福島第2原発の増田尚宏所長が「給油が拒否された」「水がない」と窮状を訴える声が記録されている。
 事故収束に東電が調達した資材は小名浜港(福島県いわき市)やJビレッジ(福島県楢葉町)に積み上がった。そこから先へ運ぶ運送業者がおらず、東電自身がやるか、自衛隊などの力を借りるしかなかった。
 米国など海外の例に習えば、非常時の原発への物資輸送などに軍隊か、軍に準ずる組織があたれる体制が要るだろう。
 この点は政府などの事故調査委員会も共通して示唆する。IAEAの深層防護の考え方によれば、防護の第1~3層は炉心溶融などの過酷事故を避ける多重の安全対策で、そこは国内でも考慮されてきた。
 不十分だったのは、過酷事故発生後に放射性物質の放出を抑える対策(第4層)と、放出された放射能の影響を最小限にとどめる住民避難などの対策(第5層)だ。ここをやり抜く覚悟がなくては国内での原発維持は難しい。
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