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菅野純:いじめの根源は勧請処理モデルの喪失(NK2012/8/4)


学校のいじめの根源 菅野純さんに聞く
感情処理モデル喪失 信頼感培う体験重要

2012/8/4付
日本経済新聞 夕刊
2430文字
 閉鎖的で単調な生活に危険が潜む
 繰り返される学校でのいじめと被害生徒の自殺。いじめはどうして起こるか、根源に立ち戻って考えたい。7月下旬、東京都教職員研修センター(東京・文京区)で教員約500人を前に、いじめ問題や生活指導に関する講演を終えたばかりの菅野純さん(62)に会った。教育相談に長く携わり、子どもの心を見続けてきた人である。
 「人間にとって、いじめの根は深い。平安時代に書かれた源氏物語でも、最初は光源氏の母親(桐壺更衣〈きりつぼのこうい〉)に対する周囲の女御たちのいじめの場面で始まっている。部屋に閉じ込めたり、廊下にふん尿をまいたりして帝(みかど)と会うのを妨害する。戦前は旧軍隊での新兵いじめもあった。こうした例を考察すると、いじめが起きやすい状況というのが浮かび上がってくる」
 「大きい要素は、まず閉鎖的な環境、閉じられた空間であることだ。昔のムラ社会はそうした要素を持っていた。第2は単調な生活。暮らしに変化があれば、対応に忙しく、変化自体に魅力を感じたりする。しかし、いつまでも変わらないと人間の攻撃的なエネルギーは行き場を失う。3番目の要素は慢性的なストレスがあることだ。源氏物語に戻れば、女性たちはいつ帝から捨てられるかわからず、ストレスを募らせている」
 「実は学校という空間も、どちらかというと閉鎖的で、意外に単調な生活が続くところになっている。かつて学校にはたくさんの行事があり、祭り的な色彩が濃かった。運動会はまさに地域ぐるみのお祭り。騎馬戦や棒倒しなど、激しい児童・生徒のぶつかり合いもあって、人間の持つ攻撃性を合法的に発散できた。大人へと一皮むけるきっかけにもなった。それが徐々に管理・縮小され、危険を理由に騎馬戦などが中止になった」
 「祝祭的な要素が学校から減って、残るのは勉強ばかりなのが現状。サッカー練習も大人に管理された習い事という感じだ。今の子どもたちは攻撃的エネルギーをどこで出すのだろうか。漠然とした将来への不安や受験の重圧など慢性的なストレスもある。いじめが本当に起きやすい環境で子どもたちは生きている」
 「いじめモデル」が世の中にいっぱいある
 子どものいじめは大人社会の反映でもある。ネットの世界などは相手を中傷・攻撃する言葉にあふれ、それが何らかの形で子どもたちの心に影を落としている、と菅野さんは分析する。
 「いわば『いじめモデル』を子どもが学んでいる状況がある。過激で差別的な言葉とか一種の弱者たたきがたくさんある。子どもらは『こういうことを言ってもいいんだ』と意識が解き放されているのだと思う。ねたみとか嫉妬とかという感情も、昔は恥ずかしいから心の内にとどめるなど自分でコントロールしていた。今はタガが外れたように堂々と出してもいいんだ、という感じになっている。だれか悪者を見つけて集中攻撃するというのも人間の心の狭さを映しているが、それもいいんだと思うようになった」
 「自分をコントロールする文化的な言葉というものが昔は結構あった。『たしなみ』がその代表でしょう。むき出しの欲望は以前は軽蔑されたし、金持ちでも豪華な家とか高価な持ち物を自慢し、見せびらかすのははしたない、目立たなくしようという意識があった。そこがどこかで変わって自慢の種になった。バランスが悪くなった」
 「物質的な豊かさ、あるいは受ける愛情の豊かさ、環境的な豊かさなどを得られない子どもたちはこの社会でどうなるのだろう。そうした豊かさを手にした人びとをうらやましく思うだろう。ねたみを感じるかもしれない。子どもたちはその感情をどう処理するのだろうか。処理のための適切なモデルが見当たらないのではないかと思う」
 「昔なら『人は人、我は我』とか我慢とか、慎み深さが大事とか、自分を管理し、納得させる言葉が生きていた。露骨な欲望には品がない、はしたないと批判できた。そこが揺らいでいるのが今の日本社会なのではないか」
 変わらぬ日常生活が意味を持つこともある
 子どもが育つ過程では、いじめだけでなく様々な困難や挫折に遭遇する。一時撤退したとしても、また復活し立ち直る「しなやかで強い心」をはぐくむ。それが教育の役割と菅野さんは考えている。
 「何と言っても子どもの心にしっかりとした土台を形成する必要がある。人への信頼感を培う『人間の良さ体験』をたくさんする。次に『心のエネルギーの充足』だ。家にいると安心するとか、自分が親に認められている実感、家族から励まされることなどが元気のもとになる。年齢相応の『社会的な能力の獲得』も大事だ。自己表現力や自己コントロール力、状況判断力などを身につける」
 「いじめに負けないためには『家庭の力』は大きい。子どもがいじめにあって悩んでいると感じたとき、親はまずは変わらない日常を保つ。風呂に入り、食事をし、家族で一緒にお茶を飲む。すると学校での嫌なことも子どもは距離を置いて考えられるようになるようだ」
 「早稲田大の学生に、過去にいじめにあっても自殺しなかった理由を聞いた。印象に残ったのは、いじめ以外の生活があったことが大きいという回答だった。家で母親がいつもご飯を作ってくれて、生活の中に占める『いじめ』の比重が低くなったという。ピアノのけいこや塾で救われた学生もいた。自分を支えてくれる資源を見つけることが、いじめに負けない第一歩だ。私自身の経験では、小学3年の頃、相手に歯形が残るほど思い切ってかみついて、いじめから逃れた。以来、怒れば怖いというイメージが定着、いじめにあわなくなった」
(編集委員 須貝道雄)
 かんの・じゅん 早稲田大学人間科学学術院教授。1950年仙台市生まれ。早大大学院修了後、東京都八王子市教育センターに勤務。早大助教授を経て97年から現職。専門は学校カウンセリング。著書に「反省的家族論」「不登校 予防と支援Q&A70」「いじめ 予防と対応Q&A73」(編著)など。