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和紙・酒造で繁栄の小川町(NK2012/9/8)

【メモ】

  • 秩父街道と八王子街道の結節点として市場が発達。
  • この風土から流通企業のヤオコー、しまむらが誕生。


まちを楽しむ 歴史ひもとく埼玉・小川「絹の道」の宿場 和紙・酒造で繁栄、起業家も育てる

 池袋駅から東武東上線の急行に乗って1時間10分。小川町は埼玉県のほぼ中央、秩父の山が迫る盆地にある。江戸時代から昭和初期にかけ和紙、酒、そうめんなどの地場産業が勃興し、往時をしのばせる街並みが残る。
国の登録有形文化財に指定されている二葉本館(埼玉県小川町)
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国の登録有形文化財に指定されている二葉本館(埼玉県小川町)
 駅から歩いて約5分、数寄屋づくりが目を引くのは割烹(かっぽう)旅館の二葉の本館。昭和8年(1933年)築で、国の登録有形文化財だ。二葉は剣豪、書家などで著名な山岡鉄舟が命名した「忠七めし」でも知られる。二葉を定宿にしていた鉄舟が「料理に禅味を盛れ」と示唆し、当時の主人であった8代目の忠七が考案した湯漬けである。深川めしなどと並ぶ日本5大名飯の1つとされる。館内では鉄舟の書を見ることもできる。
 実家である小野家の知行地があったこともあり、鉄舟はしばしば小川町を訪れた。「15代将軍の徳川慶喜の命令を受けて、西郷隆盛と談判し、江戸城の無血開城に功があった。明治維新後も侍従として明治天皇に仕えている」。二葉14代目の八木忠太郎氏は、鉄舟の功績をもっと評価すべきだと強調する。
 鉄舟には書に使う和紙をこの地で調達する狙いもあったようだ。小川町には今も和紙工房や伝統産業を紹介する施設がある。小川の和紙は「細川紙」として知られ、江戸時代には近隣を含め750軒の紙すき屋があった。水に強いのが特徴で、江戸の商人は帳簿に使い、火事の際には荒縄で縛って井戸に投げ入れ、大切な取引情報の焼失を防ごうとしたという。藤沢周平の「海鳴り」は江戸期の紙問屋が舞台で、小川の紙すきにも言及している。小説を読んで町歩きをするのも一興だろう。
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 二葉をさらに進むと「女郎うなぎ」で知られる割烹旅館、福助がある。かつては街道沿いの福助の隣に二葉が並んでいた。江戸から川越を経由して秩父につながる秩父街道と高崎と八王子を結び、横浜までつながる八王子街道。絹製品を運ぶ2つのシルクロードの結節点に小川町はある。小川町生涯学習指導員の新田文子氏は「和紙や酒などの産品をカネに換える市が立つようになり、商工業の発展を促した」という。城下町で為政者の影響力が大きかった川越との違いだ。その後、ヤオコー、しまむらもこの地から生まれ、日本を代表する流通企業に育った。
 もちろん良質で豊富な水が紙すきや酒造などの発展を支えたのは間違いない。町には槻川(つきかわ)と兜川が流れ、自然と触れ合える川辺の散策路の整備が進んでいる。
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▼ワンポイント
○小川町和紙体験学習センターは旧埼玉県製紙工業試験場の建物を活用。予約制で手すき和紙の体験教室に参加できるほか、和紙製品の展示販売も。町内にある埼玉伝統工芸会館でも和紙のほか、だるま、うちわなどの伝統工芸品作りを体験できる(要予約)。
○武蔵鶴酒造、晴雲酒造、松岡醸造の3つの酒蔵がある。事前予約すれば、無料で見学できる。お酒のほか、漬物などの買い物も楽しめる。晴雲酒造は地元産野菜を使った飲食店を併設。
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