ページ

徳川光圀(水戸黄門)。『大日本史』で水戸学(尊皇攘夷運動)をつくる。Tokugawa Mitsukuni。1701/1/14没。

徳川光圀(水戸黄門)。『大日本史』で水戸学(尊皇攘夷運動)をつくる。Tokugawa Mitsukuni。1701/1/14没。

・1628/7/11~
 1701/1/14没。73歳

徳川光圀(みつくに。水戸黄門)は、名君として名高い江戸時代前期の水戸藩主です。

初代藩主・頼房(よりふさ。家康の11男)の3男です。

1657年に徳川光圀は、学者を集めて 『大日本史』を編さんに着手し、水戸学(尊皇思想、天皇第一思想)の基礎をつくりました。
水戸学は、幕末には、尊皇思想が尊王攘夷運動に発展し、明治政府を生むことになりました。
397巻よりなり、250年後の1906(明治39)年に完成しました。


江戸初期の3名君の一人とされています。
・徳川光圀
・保科正之
・池田光政


 【※】
「水戸黄門漫遊記」
事実ではなく、光圀は諸国を漫遊はしていません。

光圀のお忍びのおでかけ
徳川光圀は、一度だけお忍びで出かけたことがあります。
その時のお供は80名でした。(根岸茂夫「秋元家の家臣団と行列」、川越市立博物館、2012/11/24)

『大日本史』
397巻。1657年に徳川光圀が尊王の目的で編さんを始めました。
1906(明治39)年に完成しました。

水戸学
徳川光圀の『大日本史』の編さん事業を通して尊王論がはぐくまれました。
1829年に水戸の藩主となった徳川斉昭(なりあき)は、学問を奨励し、尊王論に攘夷論をくわえて、尊王攘夷運動の発展に大きな影響をあたえました。
 水戸学は、吉田松陰(しょういん)らを通じて明治政府の指導者に受けつがれました。
尊王攘夷とは、「天皇を尊(たっと)び、外国勢力を追いはらう」( 「Revere the Emperor, expel the barbarians」)という運動です。


名言

「身体は習慣次第で、どのようにでもなるものである。
すこやかになるように心がけることが大切である。」



・・・・・・・・・・・

Tokugawa Mitsukuni ( Mito Komon) is the lord of Mito in the early Edo periods.
In 1657, Tokugawa Mitsukuni gathered scholars, began editing "Dai Nihonshi、Great History of Japan,
", and established the foundation of Mito study.
At the end of the Tokugawa period, Mito study developed  into 「Revere the Emperor, expel the barbarians」 movement.
It consists of 397 volumes, completed in 1906 (Meiji 39).