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新島襄。同志社大学を創立。福沢、大隈とならぶ教育家。Jo Niijima。1月23日没

新島襄。同志社大学を創立。福沢、大隈とならぶ教育家。Jo Niijima。1月23日没
新島襄  :WP

・1843年2月12日〜1890年1月23日没。47歳

新島襄は、同志社大学を創立しました。
群馬県安中(あんなか)藩士です。
福沢諭吉、大隈重信とならぶ明治の教育家です。

幕末の1864年、函館からアメリカに密航しました。
江戸時代にアメリカへの密航は大冒険でした。

マサチューセッツ州アマースト大学では、クラーク博士の授業を受けました。

のちに駐米公使・森有礼(ありのり、初代文部大臣)により、
正式の留学生として認可されました。

在米中、岩倉使節団に出会い、
木戸孝允(こういん、=桂小五郎)の私設通訳をつとめました。
岩倉使節団の一員として、ヨーロッパにも同行し、各地の教育制度を視察しました。

京都に現・同志社大学を創立し、教育とキリスト教の伝道につくしました。

新島襄は、同志社資金募集のための集会で倒れました。
ベルツ博士の診察では、完全な静養が必要でした。

彼は、死を覚悟して東奔西走しました。
大磯の宿屋で体調が急速に悪化し、
夫人と元弟子の徳富蘇峰も駆けつけました。
伊藤博文、渋沢栄一
らも見舞いに来ました。


群馬県安中市の新島襄旧宅 :2012/12

「新島襄先生終焉之地」徳富蘇峰筆 :大磯町

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【※】大磯町
湘南の奥座敷・神奈川県の大磯には、「新嶋襄先生終焉之地」の碑があります。
他に、旧島崎藤村邸は、ひっそりとした住宅街の路地にたたずんでいます。


【名言】

「世の中の事はすべて根気仕事である。
根気の強いものが最後の勝利を得る

詩吟「山を看る」 新島襄 【
+1】

八重の桜のページ

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Jo Niijima founded Doshisha University.

He was from Annaka Clan, Gunma prefecture.

He is great educaters of Meiji, along with Yukichi Fukuzawa , Shigenobu Okuma .

At the end of the Tokugawa shogunate, he smuggled to the United States from Hakodate.

At Amherst University, he took Dr. Clark 's class.

He was approved as an official international student by the US Ambassador to the US, Mori Orinori ( first Minister of Education).

He met Iwakura Mission in the United States and worked as a private interpreter for Kido Koin.

He accompanied him to Europe and inspected the educational system in various places.

He founded Doshisha University in Kyoto.

Niijima collapsed at a rally for Doshisha funds recruitment.

Dr. Belts hurried to the scene.

The physical condition worsened rapidly in Oiso inn, and his wife and former apprentice Tokutomi Soho ran in.
Hirobumi Ito, Eiichi Shibusawa and others came to visit.