近代世界史を準備した東南アジア |
東南アジア地域が、産業革命、近代世界史を準備しました。
イギリスの近代化とは、「東南アジア化」のことでした。
イギリスの近代化とは、「東南アジア化」のことでした。
◇ ◇ ◇
17世紀の東南アジア地域は、アメリカのシリコンバレーのように、多くの外国人や物産が流入する
世界の貿易センター
でした。
中国、インド、イスラム地域の文物は東南アジアに集められ、
東南アジアから世界に輸出
されました。
東南アジアは、コショウ、香辛料などを産出し、
インドからの木綿、
中国からの陶磁器
もここで取り引きされました。
コショウ、香辛料は、大切な医薬品でした。
木綿、絹、茶、紅茶、サトウキビ、コーヒーなども貿易品でした。
コショウ、香辛料は、大切な医薬品でした。
木綿、絹、茶、紅茶、サトウキビ、コーヒーなども貿易品でした。
◇ ◇ ◇
イギリスは、東南アジアから買うばかりで、
売るものがありませんでした。
東南アジアへの膨大な赤字を埋めるために、
アメリカ大陸から略奪した金銀をあてました。
売るものがありませんでした。
東南アジアへの膨大な赤字を埋めるために、
アメリカ大陸から略奪した金銀をあてました。
のちに綿製品をつくるために、赤字をなくすために、国内で自作できるような機械を生産しました。
産業革命とは機械化のことでした。
一方、日本は、他国侵略の道は選ばず、人手を多用して自給自足への努力をしました。
また自国の金銀を採掘し、輸入代金にあてました。(川勝平太、文明の海洋史観)
産業革命とは機械化のことでした。
一方、日本は、他国侵略の道は選ばず、人手を多用して自給自足への努力をしました。
また自国の金銀を採掘し、輸入代金にあてました。(川勝平太、文明の海洋史観)
イギリスは
産業革命(industrial revolution)を
おこないました。
日本は
勤勉革命(industrious revolution)を
おこないました。
こうして2つの近代世界が誕生しました。
近代世界は、
近代世界は、
イギリス(西欧)と日本だけに
生まれました。
◇ ◆ ◇
イギリスはじめ西欧は、イスラム世界から「戦争か平和か」の二分法思考を導入し、対外膨張主義に走ります。
日本は儒教の「修身斉家 治国平天下」により、
徳の政治に
進みます。
◇ ◆ ◇
日本や東南アジアのアニミズム(animism、実は、多神教)は、環境にやさしい宗教です。
山川草木、悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)
が中心概念です。
山も川も草も木も、ことごとく生命があり、命が果てれば成仏するということです。
イスラム世界と西欧の一神教の対立を解くのは、
やわらかい東南アジア文化かも知れません。
イスラムのマレーシアは、やわらかいイスラム教国で、イスラム金融や科学の面でイスラム諸国をみちびいています。
イスラムのマレーシアは、やわらかいイスラム教国で、イスラム金融や科学の面でイスラム諸国をみちびいています。
東南アジアのやわらかな、ものをつつみこむ価値観が、今後の世界の問題を解く鍵になりそうです。
多神多仏など多くの価値観を東南アジアと共有する日本は、
日本・東南アジア連携をさらに強化したいものです。
東南アジアで反日の国はありません。
オーストラリアなどの海洋アジアもやわらかいです。
海洋アジアの東南アジア、オセアニアとの密接な交流をはかりたいものです。
多神多仏など多くの価値観を東南アジアと共有する日本は、
日本・東南アジア連携をさらに強化したいものです。
東南アジアで反日の国はありません。
オーストラリアなどの海洋アジアもやわらかいです。
海洋アジアの東南アジア、オセアニアとの密接な交流をはかりたいものです。