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蓮馨寺住職・存応への豊臣秀吉の朱印状が、 河越を戦禍から救う

後北条の勢力図  (※)
1590年、豊臣秀吉は小田原城を落としました。
戦国時代がおわり、天下統一がなりました。

天下統一の前に、秀吉軍は後北条の領地である河越を攻撃するはずでした。

蓮馨寺(れんけいじ)3代・存応(ぞんのう)は、豊臣秀吉に手紙をしたためました。


秀吉から返書が届きました。

「河越では今後一切、火付盗賊、戦乱はまかりならぬ。」

豊臣秀吉からの朱印状が蓮馨寺に今も残っています。

蓮馨寺住職・存応への豊臣秀吉の朱印状が、
河越を戦禍から救いました。

(※)
「河越」は、江戸時代から「川越」になりました。

存応(ぞんのう、源誉存応、1544-1620)は、大本山・増上寺の第12代目法主(ほっす)になりました。


蓮馨寺物語  目次

(※)http://www.geocities.jp/woodone3831/c-1-3-4-11-siro-odawara.html