2013/08/11

6月25日、1931年。山川健次郎 没:白虎隊から東大、九州大学、京大総長に


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山川健次郎  (※)国会図書館
山川健次郎 (1854- 1931、76歳)

山川家は、会津藩家老の家柄でした。
山川健次郎の兄・浩は藩主 松平容保(かたもり)の信任が厚く、戊辰戦争(ぼしん--。1868年 - 1869年)の時には、家老として籠城戦を指揮します。

妹・山川捨松は、津田梅子と同じく最初の女子アメリカ留学生です。
後に薩摩の大山巌・陸軍元帥の妻となりました。


◇                    ◆                    ◇

山川健次郎は、1868年15歳のとき、白虎隊に編入されますが、若年のため除隊となります。

1871年(明治4年)、イェール大学に留学し、物理学を専攻します。
戊辰戦争では、会津は物理学などの近代科学の知識不足で苦渋をなめたことも原因でした。

孤独と貧窮の中で、不眠不休の研鑽をします。
双肩に一族、会津の運命を担っていました。

26歳で東京大学初の物理学教授となります。

48歳で、東京大学の総長となります。
そのご九州大学、京都大学の総長を歴任します。

山川健次郎は明治教育界の重鎮でした。
東京理科大学、東北大学の創設にも尽力し、武蔵大学、九州工業大学のトップもつとめました。

田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)、長岡半太郎は、直弟子です。

清廉質素で、破れ長屋に住み続けました。



1928年の京都会津会