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女帝・持統天皇。藤原京をつくる。父は天智、夫は天武。 Empress Jitō 。1月13日没

女帝・持統天皇。藤原京をつくる。父は天智、夫は天武。 Empress Jitō 。1月13日没

・645年~703年1月13日没。57歳。 藤原京

持統(じとう)天皇の頃、初めての対外戦争・白村江(はくすきのえ、663年)の戦いで大敗します。
相手は、唐・新羅(しらぎ)連合軍
でした。
日本は国内がバラバラのまま戦い、負けました。

この状態で、唐・新羅(しらぎ)連合軍に日本に攻め込まれたら、亡国の危機でした。


http://sky.geocities.jp/jyunpujyunpu/hakusonkou002b/hakusonkou002b.htm

国をまとめ、中央集権化をはかることが必要でした。
国をまとめるためには、国家神話が必要でした。

乱立状態の各地の神話をまとめたのが古事記です。

持統天皇は「権威」と「権力」を分け、
権力は官僚にまかせました。
これにより、皇位は、実力でなく、血縁で決まるようになり、争いがなくなりました。

それまでは、30歳以上の実力のある弟が継ぐのが、常道でした。


国名「日本」が現れたのは、この頃です。

大君(おおきみ)が「天皇」になりました。

「日本」や「天皇」が始まったのが、この頃です。


持統天皇  奈良県


女帝・持統(じとう)天皇は、 皇室の祖先神・アマテラスになぞられることがあります。


持統天皇はアマテラス?

◇                    ◆                    ◇

持統天皇の歌  <小倉百人一首

≪ 春すぎて  夏來にけらし  白妙の 
       衣ほすてふ  天の香具山 ≫

【※】干すてふ(ちょう)

     【訳】  春が過ぎて、夏がやってきたようです。
夏には真っ白な衣を干すと言いますが、
天の香具山にも衣がひるがえっています。(すずやかな景色だなあ。)

持統天皇の「天の香具山」の歌 【+8】


【日本国創成のとき〜飛鳥を翔た女性たち】持統女帝編 【+23】
 額田王(ぬかたのおおきみ) 藤原京

【関係年表】

645  持統天皇誕生。父は天智天皇(中大兄皇子)。
663  白村江の戦い。日本完敗。【受験】663「ム、無残(663)なり白村江」
668  父が天智天皇として即位。
672  壬申(じんしん)の乱。
          天智天皇の弟(天武天皇)が天智天皇の子を下し、天武天皇に。       
      【受験】672「胸に(672)グサリと壬申の乱」
690  伊勢神宮の遷宮始まる。
712  古事記完成。【受験】712 「名、人に(712)広まる古事記でき」
         【※】外国を意識し、国をまとめることに、全集中!


【追】

持統天皇の父は天智(てんじ)天皇です。
夫は天武天皇です。13歳のとき結婚します。
夫・天武天皇の死後は、持統天皇として位につきました。
本格的な都「藤原京」(奈良県)をつくりました。
天智→ 天武→ 持統と世は続きます。

20年に1度の伊勢神宮の遷宮(せんぐう)が、始まります。
持統天皇の690年に始まりました。
すべてを新しくしてカミに新宮(しんぐう)に移ってもらう行事です。


【歴代の女性天皇について
】  首相官邸 

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