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天海=明智光秀説


東照宮の桔梗紋  /src ページ末
日光東照宮陽明門にある随身像の袴にも桔梗紋  /src ページ末
桔梗紋  /src ページ末
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明智平  /src ページ末*
明智光秀像  /src wp
明智光秀(1528- 1582)は、1582年本能寺の変で、織田信長を自害に追い込みました。
同年の山崎の戦いでは、豊臣秀吉にやぶれました。

明智光秀は、逃れて天海(1536- 1643)になったという説があります。


・東照宮には桔梗の彫り細工が多数見られます。
  桔梗紋は明智家の家紋です。

・日光の明智平(あけちだいら)は、天海が名付けたという伝承があります。

・比叡山に明智光秀の名で寄進された石碑が残っています。寄進は明智光秀死後のことです。

・春日局(徳川家光の乳母)は、 明智光秀の家老・斎藤利三(としみつ)の娘です。

・2代徳川<秀>忠と3代徳川家<光>の名に、「光秀」が隠されています。

(4月1日記)




【追記】

1556年明智一族は、斉藤道三・義龍父子の争いで、明智城を攻められ一族が離散しました。
娘には、細川忠興の妻・細川ガラシャがいます。

亀岡市、福知山市など領国で善政をおこない、まつられています。


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