*出典 小田原市
1456(康正2)
早雲、荏原荘(岡山県井原市=いばらし)に生まれる。
1464(寛正5)
早雲、この頃、8代将軍足利義政の弟・義視(よしみ)の近侍となる。
1467(応仁1)
早雲、応仁の乱で、足利義視に従い伊勢に下る、と伝えられている。
1468(応仁2)
早雲、この頃、今川家に請われ駿河に下向する、と伝えられている。
1471(文明3)
早雲、法泉寺(岡山県井原市)造営に当たり禁制を出す。
1483(文明15)
早雲、9代将軍足利義尚(よしひさ)の申次衆(もうしつぎしゅう)となる。
早雲、建仁寺と大徳寺に参禅する。
1487(長享1)
早雲、興国寺(静岡県沼津市)城主となる。
1493(明応2)
早雲、堀越御所の足利茶々丸(ちゃちゃまる)を攻めて伊豆を平定、韮山城(にらやまじょう、静岡県伊豆の国市)に移る。
1496(明応5)
早雲、この年以降に大森氏から小田原城(神奈川県小田原市)を奪う。
1516(永正13)
早雲、新井城に三浦義同(よしあつ)、義意(よしおき)父子を滅ぼす。
1518(永正15)
早雲、家督を氏綱に譲る。氏綱、2代当主となる。
氏綱、初めて虎朱印状(とらしゅいんじょう)を発給する。
1519(永正16)
早雲、韮山城(にらやまじょう)で没する。
1521(大永1)
氏綱、早雲の遺言により早雲寺(神奈川県箱根町)を創建する。
1523
(大永3)
氏綱、伊勢から北条に改姓する。
1538(天文7)
氏綱・氏康、第一次国府台合戦で足利義明・里見義堯に勝利する。
1541(天文10)
氏綱、没する。氏康、3代当主となる。
1546(天文15)
氏康、河越夜戦(かわごえ よいくさ)で足利晴氏・山内上杉憲政・扇谷(おうぎがやつ)上杉朝定に勝利する。
1560(永禄3)
氏康、家督を氏政に譲る。氏政、4代当主となる。
1561(永禄4)
氏政、上杉謙信の小田原攻めを退ける。
1564(永禄7)
氏政、第二次国府台の戦いで里見義弘に勝利する。
1569(永禄12)
氏政、武田信玄の小田原攻めを退ける。
氏照・氏邦、退却する武田軍と三増峠で戦うが破れる。
1571(元亀2)
氏康、没する。
1580(天正8)
氏政、家督を氏直に譲る。氏直、5代当主となる。
1590(天正18)
豊臣秀吉の小田原攻めにより、山中城(静岡県三島市)落城、鉢形城(埼玉県寄居町)開城、八王子城(東京都八王子市)落城、韮山城開城。
秀吉、石垣山一夜城(神奈川県小田原市)を築城し本陣とする。
小田原城開城。氏政・氏照、切腹。氏直、高野山に追放される。
1591(天正19)
氏直、没する。
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初代 北条早雲 戦国のさきがけ
2代 北条氏綱 関東支配の礎を築く
3代 北条氏康 文武両道の名将
4代 北条氏政 まじめ実直な慎重派
5代 北条氏直 北条氏の夢ついえし
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