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14 古代・中世の朝鮮半島

14 古代・中世の朝鮮半島


韓国で有名な僧侶 元暁

4〜14世紀の朝鮮半島が舞台

元暁は朝鮮半島で仏教が広まる基礎を築いた

元暁(げんぎょう)は、かつて朝鮮半島を治めていた新羅(しらぎ)という国の僧侶で、韓国で広く知られています。


儒教のイメージが強い韓国ですが、今も全国民のうち20%が仏教を信仰しています。
ヒョンギさんのお母さんも、仏教を信じているといいます。

4〜5世紀に中国から仏教が伝わる

4世紀の朝鮮半島は高句麗・新羅・百済の三国時代

その後4世紀から5世紀にかけて、中国から朝鮮半島に仏教が伝わり、経典や仏像が入ってきます。


この時代は、国どうしの激しい戦いが繰り返され、多くの犠牲者が出ていました。
戦乱が続く世の中には、国をまとめるための拠り所として、仏教の力が必要とされていました。

元暁は、その時代の新羅で生まれ、形にとらわれない自由な考えの僧侶に育ちました。
元暁は仏教の力によって、争いを減らしたいと考え、それまでにない方法で人々の心に仏教を届けようと試みたのでした。

当時の三国について、
高句麗…領土が一番広く、一番たくましく、強い
百済…貴族的で、デリケート
新羅…優秀な人材が多く、三国を統一した
といったイメージがあるそうです。


「大切なのは、一人ひとりの心の持ち方を変えること。」
そう考えた元暁は学問のために唐へ行くことをやめ、義湘と別れて、一人新羅に戻りました。
そして、従来の形にとらわれずに音楽や踊りを交えて念仏を唱え、仏教をできるだけ多くの民衆に伝えようと努めます。


7世紀後半の この頃、新羅は唐と手を結んで高句麗を滅ぼし、朝鮮半島を統一します。
その新羅にとって、仏教は大きな意味を持っていました。

新羅の仏教は、自分たちの国を守る、「護国(ごこく)仏教」でした。
国が仏教を積極的に広め、人々は新羅は特別に仏に守られていると信じ、周囲の国と戦う勇気を得ました。

新羅の都・慶州の仏国寺

慶州は朝鮮半島で最も仏教が盛んな都市となった

日本では一遍上人が踊念仏で武士や農民に仏教を広めた

新羅の都である慶州は、朝鮮半島で最も仏教が盛んな町となりました。
僧侶として義湘は貴族に、元暁は民衆に仏の道を説き、新羅の仏教を支えました。

元暁は686年、この世を去ります。
しかし、仏教はその後の朝鮮半島でも大きな役割を果たしていきます。

元暁は庶民に仏教を広めたことから、現在の韓国で仏教を語るには欠かせない存在であり、大きな影響があった人物だといいます。
韓国のソウルを流れる大きな川・漢江(ハンガン)には元暁の名前を付けた橋があり、また元暁の名を取った通りもあるそうです。

日本では、元暁に似ている人物として、一遍上人が挙げられます。
一遍上人は、大きい太鼓を囲みながら楽器を奏で、お経を唱える「踊念仏」を広めた人物でした。
音楽を奏で、楽しそうにしていると、大衆は興味を持ちやすいと言えるかもしれません。


7世紀末に新羅の僧・元暁がこの世を去った後も、朝鮮半島では、仏教が引き継がれていきました。
新羅は、10世紀前半、急速に力をつけてきた高麗に倒されます。

高麗の時代には、高麗八萬大蔵経(こうらいはちまんだいぞうきょう)が作られます。
大蔵経とは、ブッダの教えや僧たちが守るべき戒律をまとめた、仏教の経典の集大成です。
本にすると6800冊、刻まれた文字の数は、およそ5200万にもなります。
150万人の民衆が参加した国家的プロジェクトモンゴル等の外敵から国を護るために大蔵経は制作された

この大蔵経を制作するのに、150万人の民衆が参加したという、国家的プロジェクトでした。


大蔵経は、数十年の歳月をかけて完成しました。
そして国民の心を一つにまとめ、敵に対抗することができたのです。
こうして、護国仏教という形で、朝鮮半島の仏教はその後も受け継がれていくことになります。

【※】
護国仏教は、仏の力によって国を護る、つまり外敵を撃退するという仏教の一つの考え方であると言うことができます。

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