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2  オリエントとギリシア

 オリエントとギリシア

ツタンカーメンがいた紀元前14世紀前半は、日本は遮光器土偶などが作られていた縄文時代でした。
当時の人物の名前の記録が残っていない日本に対し、エジプト文明は「ツタンカーメン」など人物の名前がわかっていることが大きな違いです。
そこには「文字」が関わっています。

ナイル川は、毎年決まった時期に水かさが増して氾濫します。
その時に、上流から栄養分を沢山含んだ土を運んできます。
そのため水が引いた後は、肥料を撒かなくても、作物が充分に育つことができます。
この恵みのおかげで、ナイル川流域では紀元前5000年頃から農耕が始まったと言われています。

発達したのは農業技術だけではありません。
川が氾濫する時期を予測するための天文学や、水が引いた後に土地の境を正確に測るための測量術など、様々な技術が発達しました。

やがて紀元前3000年頃に、エジプトに統一国家が現れました。
ファラオは、太陽神の化身として、神のお告げに基づいて国を治めました。
国を治めるこのやり方を、神権政治といいます。

そして、ファラオの偉大な業績を書き記すための象形文字=ヒエログリフが作られました。
ツタンカーメンの黄金の棺にも、彼の名前の「ツタンカーメン」という文字が刻まれています。
このヒエログリフこそが、後の人類の歴史に大きな影響を与えることになります。

人類最古の文字が発明されたのは、メソポタミア文明です。
メソポタミアとは、「川の間の地域」という意味です。
その名の通り、ティグリス川とユーフラテス川の2つの大河の流域に、いくつもの都市国家が建設されました。

大切な麦を管理したり、交易の記録を残したりするために作られたのが、楔形(くさびがた)文字です。
この文字は、先をとがらせた植物の枝などを使い、粘土板に刻まれました。      

象形文字であったヒエログリフは、表音文字としても使われ、発展していきます。
紀元前12世紀、海上貿易で活躍するフェニキア人という人々がいました。
彼らは地中海の各地に拠点を造り、遠くイギリスへも渡っていたといいます。

貿易の記録を残すための文字を必要としたフェニキア人は、エジプトの文字を簡略化し、独自のアルファベット
である「フェニキア文字」を作り出しました。

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