2014/10/05

大道寺政繁


大道寺重時は北条早雲の重臣
伊豆の堀越御所の急襲、岡崎城奪取、高輪合戦で華々しい活躍を。
1546年の河越夜戦でも北条綱成を助け、上杉勢を北に敗退させた。その後河越城の守将北条綱成が甘縄城に帰城することになり、大道寺重時の子・重興が河越城を治めることになったのである。
重興も活躍があり、河越居住とななる。

政繁は、t22武田氏と駿河富士川の戦い、1560岩槻城攻略でも先陣をつとめ、同年の久能山や興津の戦いでは、信玄を甲州に敗走させる大活躍をした。
これ以降1590年まで3,4,5代の40年間にわたって河越を支配する。
また、織田信長の重臣滝川一益が上州に進攻したが、本能寺の変が起こると、政繁はt10上州沼田城へ進攻しこれを攻略した。この功により松井田城を賜わり、小諸、小田井の城代も務めるのである。
さらに川中島では、上杉景勝、徳川家康とも戦火を交えている。

やがて河越城を庶子に譲り、自らは嫡子直重とともに松井田に住んだ。

1590年秀吉による北条氏攻略が行われると、政繁、直重は豊臣軍を迎え撃つが敗れ、松井田城に40日間籠城奮戦し、豊臣の軍門に下る。

大道寺政繁は、豊臣方の先鋒を命じられ、鉢形、松山、八王子の攻略に参加するが、殺害される。

大道寺政繁がいた頃は、掃除の励行、道路の整備、火の用心などを厳命している。川越はかなり賑わっていた。


(川越大事典)

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