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小江戸「川越」に現存する本丸御殿

小江戸「川越」に現存する本丸御殿。 太田道灌が築いた巨大な唐破風屋根が出迎え

 2014.11.9 産経新聞

 時の鐘や蔵づくりの町並みで知られ、江戸の面影を残す埼玉県の小江戸川越。観光客で通年にぎわいをみせるが、日本百名城の一つに数えられる川越城も本丸御殿が現存し、人気のある観光スポットの一つだ。しかし、川越城に関連した遺構は本丸御殿だけではない。歩いて回れる距離に往時をしのぶ遺構が集中していると聞き、川越市役所を起点に遠足気分で散歩してみた。

 川越城西大手門があった市役所。現在は耐震改修工事中で周囲を覆われているが、川越城を造った太田道灌(どうかん)公の像と大手門跡の碑は見ることができる。

 歩くこと10分。木立に覆われた高台が現れ、ジグザグに曲がる石段を登ると、住宅1戸の敷地にも満たない狭い更地があった。天守閣のない川越城で最も高い場所にあり、物見と防戦の役目を担った富士見櫓(やぐら)の跡地。櫓は今、跡形もなく、うるさいほどのヒヨドリの声に包まれていた。

 当時の絵図によると、富士見櫓は三層の櫓。県が現地に立てた解説板には江戸末期の測量記録として、規模を長さ八間三尺(約15メートル)、横八間(約14メートル)と記してある。川越市は再建を検討するが、具体化する見通しはない。

 富士見櫓から住宅街を少し歩くと、杉やイチョウの大木を両脇に従えた参道が現れる。天神さまと呼ばれる三芳野神社。童謡「とおりゃんせ」発祥の地とされている。

 川越城は太田道真、道灌父子が長禄元(1457)年、築城した。その際、古くから信仰を集める同神社を城内に取り込んだ。江戸期の歴代城主も崇敬し、城内にありながら年2回、一般の参詣を許したという。江戸後期の紀行文「遊歴雑記」では1月25日に川越城南大手門を入り、櫓を横目にお参りした様子が記されている。いかにも「ここはどこの細道じゃ天神さまの細道じゃ」と歌われた世界が見えてくるようだ。

三芳野神社のすぐそばが本丸御殿。平成23年3月にリニューアルした巨大な唐破風(からはふ)屋根が出迎えてくれた。嘉永元(1848)年に建立された当時は16棟の建物があり、城主の住まいであり、政務も行われた。明治になると移築・解体され、現在残るのは玄関と広間、使者の間などわずか。それでも、本丸御殿が現存するのは全国で高知城とここ川越城しかない。

 家老詰所は明治初期に解体・移転され、長くふじみ野市にあったが、昭和62年に川越市に寄贈され、今は本丸御殿の隣に移築されている。

 取材に協力してくれた川越市立博物館教育普及担当の天ケ嶋岳主査(49)によると、本丸御殿では現代の医師が江戸時代にタイムスリップするドラマ「JIN-仁-完結編」の手術シーンなどが撮影されたという。家老詰所の縁側に座って庭を眺めていると、なにやら江戸時代の風が吹き抜けた気分に陥った。

 本丸御殿で休憩した後は、川越城の堀跡が見学できる中ノ門堀跡に寄り、市役所に戻った。手元の歩数計は約6千歩。見学に時間をかけた、1時間半ほどの遠足だった。(石井豊)

 川越城本丸御殿 埼玉県川越市郭町2の13の1。入館料一般100円、高校・大学生50円、中学生以下無料。午前9時~午後5時(入館は4時半まで)。休館日は原則月曜と年末年始。JR川越線・東武東上線川越駅東口、西武新宿線本川越駅からバス(蔵のまち経由)で「札の辻」下車徒歩約10分。関越道川越インターチェンジから約15分。【問】川越市立博物館(電)049・222・5399。

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