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人形浄瑠璃、復活へ。大月市笹子町

【4-2】(山梨日日新聞社・川村咲平)を引用抜粋

人形遣いを練習する「笹子追分人形保存会」のメンバー。2012
「左足からイチ、ニ、サン」―。
人形や舞台セットが並ぶ広さ15畳ほどのけいこ場に、一座のメンバーの声が響く。

 山梨県東部にある大月市笹子町の追分地区。
江戸時代、甲州街道の難所だった笹子峠を越える旅人をもてなすため、栄えたのが人形浄瑠璃「笹子追分人形」だった。

 高さ1メートルほどの人形を3人一組で操り、まばたきなど繊細な動きを表現する。
演じ手は高い技術を必要とされ、修業は「足遣い10年」「左遣い10年」と言われるほどだ。

 地域に愛された伝統芸能だが、演じ手が減り往時の姿は影を潜める。
1951年に保存会がつくられ、細い糸を紡ぎ始めた。
60年に県無形文化財に指定されたが、メンバーの高齢化が進み94年から公演は中断。
かすかな光すら消えつつあった。

 転機は2004年に訪れる。
保存会の天野茂仁(あまの・しげひと)会長(59)らが知人らに声を掛け、大月市制50周年の節目にわずか10分間の"復活公演"を実現させると、伝統文化は再び息を吹き返していく。

 一座を受け継いできた家の長男、天野新一(あまの・しんいち)さん(55)は東京から帰郷して5代目座長に就任。
継承者として、メンバーとともに意欲的に活動を始めた。
興味を持った小、中学生も仲間入りし、今では約20人が名を連ねる。

 一座はこの春、70年以上も披露されていなかった地元が舞台の演目「吉窪美人鏡(よしくぼびじんかがみ)」を上演した。
明治時代の台本だけを頼りに三味線などは新たなアレンジを加えて創作、物語を完成させた。
来年、山梨県で開かれる国民文化祭でも上演する。

 もちろんすべてが順調ではない。
人形の補修や活動費のやりくり、技術の底上げも課題。
だが、天野会長は「時代は変わっても、見る人にひとときの楽しみを与える役割は変わらない」と前を向く。

* 上演中、人形の表情に喜怒哀楽がはっきりと表れ、ドキッとする瞬間がある。演じ手の魂が人形に乗り移る姿に、時代を超えた魅力がある。地域で育った伝統文化の再興が、地域活性化の幕開けになることを期待したい。

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