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川越藩主・松平大和守家の廟所は付け足し築造 喜多院で保存整備

川越藩主・松平大和守家の廟所は付け足し築造 喜多院で保存整備

2017.3.7 sk

 川越藩で約100年間、7人の藩主を出した松平大和守(やまとのかみ)家の廟所(びょうしょ)の保存整備工事が川越市の喜多院で進んでいる。工事に伴う発掘調査で、喜多院に築造された同家5、6,7,8代と10代の5藩主の廟所のうち、ひと続きの基壇上にある北側の4基は最初に5代廟が独立して建ち、その後6~8代廟が増設されていったことが分かった。工事は平成30年度まで行われ、創建時の廟所の姿に復元される。(石井豊)
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 松平大和守家は徳川家康の次男、結城秀康(ひでやす)の5男、直基(なおもと)が藩祖。同家が川越藩主だった明和4(1767)年から慶応2(1866)年までの間、7人いた藩主のうち、川越で亡くなった5代朝矩(とものり)、6代直恒(なおつね)、7代直温(なおのぶ)、8代斉典(なりつね)、10代直候(なおよし)の5藩主が喜多院に葬られている。

 廟所はそれぞれ石門と五輪塔、石碑(神道碑)などからなり、関東大震災などで被害を受け、近年は石門の屋根や石扉が外れ、五輪塔の建つ基壇がゆがみ、一部の五輪塔は傾くなど傷みが進んだ。修復を望む地元の有志らが寄付を集め、行政の補助を受け26年度から保存整備工事が始まった。

 市文化財保護課によると、溝を掘るトレンチ調査で、ひと続きの基壇上にある5代廟と6代廟の間で地下約70センチの深さに基礎石を発見した。5代廟の西側を区画したものとみられ、5代廟が当初は独立廟だったことが明らかになった。このため、8代までは西側に廟所を付け足して増築。8代の西は堀になるため、10代の廟所は4基の向かいに建てたとみられるという。

 同課の山田雄正学芸員は「5代は前橋から川越に移って亡くなり、急な廟所の造営に迫られ、喜多院にお願いして作った。通常、一人の殿様は独立した廟所だが、敷地が狭かったため6代以降は西側に付け足し、基壇も先代に踏襲して同じように作り、ひと続きに合体したのでは」と話す。

 2月18日には現地見学会が行われ、同課職員らが整備工事の概要と発掘調査の成果を報告。参加した市民らはメモを取るなど、熱心に見学して回った。

 保存整備工事は5、6代廟が解体調査と修理を終え石門に屋根や石扉が復元。今年度中に7、8代廟も終了し、29年度は10代廟の解体修理が行われる予定。

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