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アトキンソン:「おもてなし」よりも収益モデルを

中村 日本にはすでに少なくない数の世界遺産があります。例えば、「富岡製糸場」などでは、世界遺産に登録されたことがニュースになると、ブームになって大挙して押しかけます。ところがブームが過ぎるととたんに行かなくなってしまう。この点は諸外国にある世界遺産とはちょっと違っているような感じがします。その意味では、日本は世界遺産の真の利活用をもっと考えるべきではないかと思うのですが。

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アトキンソン氏 国宝や重要文化財、国立公園も同じですが、その認定資格自体に本当は観光的な価値がそれほどあるわけでもないのです。特に、世界遺産登録には2つ問題があるとみています。一つは、行政主体で動いているため、収益とは関係ないという点です。このため、人々の関心も一過性のものになってしまい、わあっと盛り上がったと思うと、さあっと引いていくようになります。これは行政が対応しているからにほかなりません。収益とは関係ないところで物事が進められているからです。行政だけでは観光産業は成り立たないということの象徴なのです。

利活用というのは、産業化するための方法論にすぎません。世界遺産に認定されたからといって、どうということはないということを認識しないといけません。国がさまざまな規制緩和を行っていますが、目的がないまま規制緩和をしても実際に世の中が変わるかといえば、変わらないことが多々あります。考え方はそれと同じです。訪日外国人観光客や国内の観光客をたくさん増やし、なおかつ、産業化したところで、ちゃんと収益につながらなければ意味がないのです。

中村 特に行政の方々は、世界遺産に登録しただけで過大な地域経済の振興効果を期待しがちですが、それで万事OKという訳にはいきません。行政がそのために有効な対策を打っているかというと、どこの世界遺産でもあまり目立ったものはみられません。基本的には、行政は、民間任せにしようとしている一方で、民間も行政に頼ろうとしています。どちらも他人任せにしているように感じられます。

アトキンソン氏 そこにもう一つの問題があるんです。行政にしても、民間にしても、「観光」に対する考え方が極めて「軽い」ということです。要するに、「世界遺産にすれば何もしなくても観光客がたくさん来る」と思い込んでいるんです。でも、実際は、そんなに簡単なものではありません。それでは「産業化」はできません。結局、世界遺産の登録がただの自慢話にすぎないことになってしまう。「世界遺産だから」「世界が認めたから」と自慢しても「だからどうした」と言われるだけになってしまう。これこそが今までの典型的な日本の「観光」に対する考え方なのです。

私が書いた『新・観光立国論』では、「おもてなし」は国内でも、海外でも、主要な観光動機にならないと指摘しています。外国人観光客は自然や文化、歴史などの観光資源を楽しみにやってきます。「おもてなし」というのは、「あったほうがいい」程度のものでしかありません。

2013年に行われた東京五輪・パラリンピック招致委員会の最終プレゼンテーションで、「おもてなし」を全面的に押し出したのを見ていて、産業とは関係なく、いかにも行政らしい考え方だと思いました。そもそも日本の「おもてなし」が、外国人観光客にとって納得のいく「おもてなし」になっているかどうか考えものです。観光は「泊まる、食べる、楽しむ」ですから、世界遺産の認定や「おもてなし」だけでは収益モデルは成立しません。

ここが一番のポイントなのですが、世界遺産をはじめとする観光資源を産業化するということは、最終的にお客さまのことを考えなくてはならないということなのです。日本人ではない外国人の観光客が、せっかく海外から来てくれたのですから、その人に長く日本にいてもらって、お金を落としてもらって、見に来てもらった以上はそれ相応のサービスを提供しなくてはならないのです。

まずはお客さまのことを考えるべき

中村 世界遺産に登録されているところでも、国内外の観光客が満足するようなサービスが行われていないということですね。

アトキンソン氏 前回、二条城の整備の話をしましたが、富士山も同じですね。富士山を世界遺産に登録して、海外中から観光客を呼び寄せようとしていますが、富士山の山小屋に宿泊すると、人が寝返りもできないほどのスペースにぎゅうぎゅうに押し込められてしまう。まったく知らずに山小屋に宿泊すると、大きなストレスを感じてしまいます。登ってみると、全く知らない人の隣に何センチもないような距離で寝なくてはならないのが現実です。昔の修学旅行やボーイスカウトだったらありえたかもしれませんが、それは、とても先進国とは思えないホスピタリティです。

利用者のことを考えた整備をしなくてはならないのに、それを怠っている。ある意味で、外国人観光客からみれば、世界遺産を悪用しているとみられてもおかしくないと思います。外国人観光客に来てもらいたい、来てもらった時にお金を支払ってもらい、その人に満足してもらうために何をすべきか、真剣に考える必要があります。

世界遺産にリピーターがないのは、日本人の観光客も賢いからだと思います。一回だけ見に行くけれども二度と来ないのは、そこに本音が出ているんです。だから世界遺産になったから一回だけ行ってみたけれども、やっぱり大したことはなかった。そんな本音が出ているでしょう。考え方が極めて軽いということは、そういうことなのです。

独り善がりな「おもてなし」思考

中村 さきほどおっしゃられましたが、日本には、「おもてなし神話」のようなものがあります。サービスという無形のもの、目に見えないものをお金に換えるなんてとんでもないみたいな意識を持っています。

アトキンソン氏 これは大事な指摘だと思います。何が違うのか。それは有形と無形の違いです。有形のものには客観的な基準があります。作った車が売れるのか、売れないのかということがまず問題になります。海外に輸出をすると、「これは大したことではない」と批判されたり、逆に「これすごい」と評価されたり。また、採算がとれるかどうかということもすぐに問題になります。こうした評価や批判は、客観的なものだから、神話や迷信にはなり得ないのです。

一方で、サービス産業は「へ理屈」がまかり通ってしまう。例えば、消費税の増税が表面化すると、「消費税が上がると、お客さんが来なくなってしまうので転嫁できない」と主張し、増税に反対します。観光産業も全く同じですが、私からすると、誰が「お客さんが来なくなってしまう」と決めたのでしょうか。これは根拠がない話です。

東京五輪・パラリンピックのプレゼンテーションで、「おもてなし」が紹介された時、最初の1年間は、まるで「おもてなし騒動」のような形で注目されました。マスコミに「おもてなしをどう思うか」と尋ねられたので、私は「いや、そういうのはお客さんが決めるものであって、その供給側が決めるものじゃないですよ」と言ったんです。すると、批判のメールが毎日のように届いて、すごかったですよ。

著書にも書きましたが、そんな「へ理屈」をやめて現実を見るべきです。へ理屈とは何なのか。「治安がいい」「新幹線が正確」といったことは観光とはあまり関係がないでしょう。「おもてなし」だって、昔からあるのに、なぜ今まで500万人しか訪日外国人観光客が来なかったのか。では、なぜ数年前から急に訪日客が増えたのか。人が親切であって、おじぎをよくするけれど、「キャッシュカードが使えない」「現金を用意しなくてはならない」「ATMも使えない」「ネット予約ができない」「文化財などの解説がない」「座る場所がない」…。ここのどこにおもてなしの心があるでしょうか。それ以外の理由で海外から観光客が来ているのです。そういう客観的事実があるわけです。

日本人が「これはすごい」と思っていても、海外で評価してもらえなければ、それはただ自慢話に過ぎないのです。もう、そういうのはやめて、現実的な収益モデルを作りましょう。それが観光立国なんです。

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