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加藤清正。熊本城などの築城の名手。Katō Kiyomasa。8月2日没。

加藤清正。熊本城などの築城の名手。Katō Kiyomasa。8月2日没。

 ・1562年7月25日。 尾張国 ー
1611年8月2日没。熊本市

加藤清正は、豊臣秀吉につかえた秀吉の遠縁です。
名古屋の生まれです。

朝鮮に出兵しました。
先鋒(せんぽう)となり、足かけ7年の軍役を務めました。

関ヶ原の戦では徳川方につき、27歳で熊本城主となりました。

築城、治水以外にも東南アジアとの貿易でも優れた手腕を発揮し、民を大切にしました。

地元では「せいしょこ(清正公)さん」と愛されています。

超一流の行政マン!? ~加藤清正の真実~ 【7+】



【名言】

「上一人(かみ いちにん)の気持ちは、下万人(しも ばんにん)に通ずる。」

大将の心掛け次第で、部下の統率ははかどる。
なぜ旅装を解かないのか、との戦いの帰路での答弁です。
上の者が油断していれば、部下も全員油断する。だから自分は旅装を解かない。


【追記】秀吉の朝鮮出兵は武士から支持されていた。 

秀吉は、平和になれば、膨大な失業兵士からの脅威にさらされました。

したがって、余剰軍事力を消費するために、外征に乗り出しました。
これが軍事の常道です。

世界史的に見ても、
    アレキサンダー、
    チンギス・ハン、
    ナポレオン
なども軍事力のはけ口を外に向けました。

秀吉の朝鮮出兵は、当時の武士全般からは支持されていました。

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