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独立した研究者、育成を。 黒川清

独立した研究者、育成を 科学技術で未来を描け
黒川清 政策研究大学院大学名誉教授

2018/1/15 nk を抜粋編集

<まとめ>
  • 日本の論文数は10年前は米国に次ぎ第2位。今は中国、ドイツに抜かれ4位に後退。
  • 教授を頂点とする権威主義的な身分制度。ドイツでは同じ大学・講座の助教授は、そこの教授になれない。
  • 教授という権威の下で、若手研究者らは全員がその徒弟。タテ社会。家元制度に閉じこもる大学の体質。官庁や企業も同様。
  • 世界の有力大学は、世界中から意欲ある教員、若者を引き付けている。
  • 俊才を大学院生として欧米、そして新興アジアの一流大学へ留学させよう。世界は日本の若者を待っている。




 日本の科学技術研究が凋落(ちょうらく)する原因について、政策研究大学院大学の黒川清名誉教授は大学人のマインドがタテ割りで、独立した個人としての研究者が育たないためだと指摘する。

 日本の科学技術研究の国際的な減退傾向が止まらない。文部科学省の研究所によると、2013~15年に日本が出した論文数は約6万4千件で、10年前(03~05年)から4千件近く減少。10年前は米国に次ぎ第2位だったのが、現在は中国、ドイツに抜かれ4位に後退した。

 引用回数が上位10%に入る「トップ10%補正論文数」、上位1%の「トップ1%補正論文数」の順位も10年前の4位から9位に転落した。量でも質でも中国などに大きく差を付けられた。

 凋落の原因は科学技術研究予算が増えないからだという人もいる。確かに研究資金の確保は重要な課題だが、研究者1人当たりの公的研究費を見ると英、独などと遜色はない。

 日本の凋落は、裏返せば中国や欧米諸国の躍進、前進である。グローバル化の進展やIT(情報技術)の飛躍的進歩、新しい研究分野の多彩な広がりなど、この10年で世界は急速に変貌した。

 欧米やアジアの有力大学は、そうした変化に対応して魅力ある研究の場を整え、世界中から意欲ある教員、若者を引き付けている。他方、日本の大学は旧態依然、かつての“成功モデル”の維持にきゅうきゅうとするのみである。凋落は日本の大学が持つ構造的、歴史的な要因に起因するといわざるをえない。

 明治政府は、ドイツの大学の講座制を採用して日本の高等教育の構築を図った。教育と研究を一体的に進める講座制によって、新国家の学術レベルは飛躍的に向上した。

 だが、この制度は講座の主である教授を頂点とする権威主義的なヒエラルキーを形成し、自由闊達な研究の足かせとなる問題をはらんでいた。そこでドイツは同じ大学・講座の助教授は、そこの教授になれない制度を取り入れていた。大学でのキャリアを求めるならば独立した研究者として新天地で羽ばたくという哲学を持っていたからだ。


 ところが、日本はドイツの大学の「形」は取り入れたものの、独立した個人としての研究者を目指すという「精神」の方は置き去りにした。

 その結果、日本の大学現場には旧態依然とした“家元制度”が大手を振ってまかり通ることになった。教授という権威の下で、学生や若手研究者らは全員がその徒弟であり、教授の手足となって研究し教授の共著者として論文を書く。研究は教授の下請けの域を出ず、多くは教授の業績となる。大学には東大を頂点としたヒエラルキーが存在し、大学院重点化で狭いタコツボがさらに狭く窮屈になった。徹底したタテ社会の論理である。

 タテ社会の頂点に立つ教授の下では、ポスドクで海外留学に出ても、それは教授のツテであり、2~3年で帰国するひも付き留学にすぎない。弟子たちは独立した研究者として独創的な研究を競うのではなく、教授の跡目争いに没頭する。官庁や企業と同様に大学の世界でも、今いる組織を飛び出して活躍することは社会的リスクが極めて高い。これでは斬新な研究が生まれるはずがない

 西洋に咲いた近代の科学研究には、次世代の独立した研究者を育てるのは教授の責任という哲学がある。教授の役割は自分の後継者、内弟子の育成ではない。次世代を切り開く独立した研究者を育てることなのだ。指導者は育成したPhDで評価されるといっても間違いではない。ここが日本と欧米の一流大学の基本的な違いだ。


 我々が気づかないうちに日本の高等教育はどんどんグローバルな流れに合わなくなっている。この10年余、諸外国では研究分野の広がりとともに、新進気鋭の俊才が新しい分野で活躍しているのはグラフを見れば一目瞭然だろう。

 世界に出れば素晴らしい先達に出会える。世界中から集まる同時代の俊英たちと切磋琢磨(せっさたくま)する。PhD、ポスドクとキャリアが上がる度に大学を移る。多くの科学者が年齢、肩書にかかわらず、若い研究者を一人の独立した仲間として扱ってくれる。

 そこで学べること、培った人脈は想像以上に大きい。自分の成長を確実に実感できるし、他大学へも自分で決めて移ることができる。国境を越えたヨコへの展開が若者たちを待っている。

 現在、世界の研究の中心は米国であり、その引力は強大だ。この十数年間、米国の毎年のPhD取得者数は、台湾からが約700人、韓国は約1300人、中国は4千~5千人、インドは2千人強なのに、日本は300人弱から200人を切り始めている。なぜ日本の若者たちはこんなに内向きなのか。その責任の多くが、家元制度に閉じこもる大学の体質にあるのは間違いない。

 優秀な研究者を養成するために、一人でも多くの俊才を大学院生として欧米、そして新興アジアの一流大学へ留学させよう。世界は日本の若者を待っている。若者を世界へ解き放ち、独立した研究者の第一歩を歩ませるのだ。帰る場所? そんなことは心配ない。海外のキャリアがあれば、内外の大学や企業から引っ張られ、動ける。少数だが、そうして海外でキャリアを重ね独立した研究者になるべく育てられてきた教授たちは、多くの家元継承型の教授たちとは明らかに何かが違う。

 後進を新しいフロンティアを開拓する独立した研究者として社会に送り出す。これが科学を推進する精神であり、科学者コミュニティーが社会に果たすべき責任である。そしてそれこそが、日本の大学を変え、科学技術研究の凋落を打開するカギなのである。


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★ 大学抱える構造 日本社会を映す
 所属している組織から自由になれない大学のタテ割り構造が、激しい変化の時代に対応できないという黒川名誉教授の指摘は説得力がある。

 同時に黒川氏は「これは大学だけではない。役所も企業も同じ問題を抱えている」とも言う。

 明治以降、日本は欧米の学術文化を積極的に学び、近代化の道を走ってきたが、意識は相変わらず“ムラ社会”のまま、今日まで来たということなのだろう。(横)

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