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村上春樹:翻訳について。随想4編


村上春樹 普遍にして固有のヴォイス 
チャンドラー長編7作 翻訳終えて 
2018/1/4nk

<まとめ>

  • 翻訳は、おおよそ半世紀を目安として、ボキャブラリーや文章感覚のようなものにだんだんほころびが見え始めてくる
  • 翻訳は「文章修業」の役割を果たしてきた。
  • 翻訳は究極の熟読であって、一行一行テキストを追うのは作家として貴重な経験。
  • 僕にとって翻訳は暇があるとついついやってしまう趣味のようなもの。
  • (桑原政則)
    • 村上春樹は純文学が少ないので、ノーベル賞は遠いようです。


村上春樹:
 レイモンド・ソーントン・チャンドラーが小説を書き始めたのは、ほとんど人生の後半に入ってからである。最初に単行本として出版された小説は『大いなる眠り』(1939年)だが、そのとき彼は既に50歳を過ぎていた。波瀾万丈(はらんばんじょう)……とまではいかずとも、あちこちで様々にカラフルな人生経験を積み、いくつもの成功や失敗をくぐり抜け、すったもんだの末になんとか小説家として身を立てられるようになった、というところだ。

 当時のアメリカは不況時代のまっただ中にあり、それがどのような業種であれ、人が生計を立てていくのは生やさしいことではなかった。しかしそれにしても50歳で本格的な作家デビューというのは、異例な遅咲きだったと言ってもいいだろう。

 それから1959年に70歳で亡くなるまでのあいだに、チャンドラーは全部で7冊の長編小説を出版した。どれも私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とし、大都市ロサンジェルスを主な舞台とする物語である。多くの人はその小説スタイルを「ハードボイルド・ミステリー」と呼んだ。パルプ・マガジン向けに短編小説も数多く書いてはいるが、それらは「書き飛ばされた」とまでは言えずとも、質的には長編小説に遠く及ばず、チャンドラーの名が人々に記憶されているのは、やはり圧倒的に「フィリップ・マーロウもの」に負うところが大きい。

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 チャンドラーの小説は最初のうち、なかなか世間に広く受け入れられなかった。ミステリーという分野そのものが当時は一段低く見られていたということもあり、出版社も彼の作品をうまくマーケットに乗せることができなかったように見える。そのためチャンドラー作品はアメリカ本国において、一部の読者や批評家には高く評価されるのだが、思うように部数が伸びないという時期がかなり長いあいだ続いた。当時の一般読者が求めていた娯楽読み物と、彼が提供していたオリジナリティー豊かな作品とのあいだに、ある種の乖離(かいり)が存在したということなのだろう。

 そのことはチャンドラーを苛立(いらだ)たせ、往々にして彼の自信を揺らがせ、(もともとそういう傾向はいくらかあったにせよ)喧嘩(けんか)っぱやくさせたし、深酒をするようにもなった。また一時期、収入を安定させるために、ハリウッドに出向いてシナリオ書きに精を出さなくてはならなかった。そこで『深夜の告白』とか『見知らぬ乗客』といった優れた脚本を残し、アカデミー賞にもノミネートされ、それなりの成功を収めたわけだが、そこには映画業界特有の制約もあり、人間関係のストレスも多く、日々身をすり減らせることになった。小説家チャンドラーを評価するものとしてはやはり、その時期を「残念な回り道」と呼ばないわけにはいかないだろう。

 しかし晩年になるにつれて、彼の評価はどんどん高まり、とくに『ロング・グッドバイ』は彼を第一級の作家として位置づける重要な作品となった。ようやく世間がチャンドラーに追いついてきた、と言っていいかもしれない。一連の「フィリップ・マーロウもの」はロングセラーとして今でも着実に版を重ね、それらの作品は一種神話的な色彩さえ帯びるようになった。

 あとに続く多くの作家がチャンドラーの影響を受け、その文体やスタイルを踏襲するようになった。フィリップ・マーロウは単なる小説の主人公であるのみに留まらず、ひとつの象徴となり、ライフスタイルの基準となり、都市生活の発する普遍にして固有のヴォイスとなった。

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 今回出版したこの「水底(みなそこ)の女」で、僕(村上)はチャンドラーの残した長編小説7作を、すべて翻訳し終えたことになる。僕より前に、同じ早川書房で清水俊二さんが6作を訳しておられるが(『大いなる眠り』は当時、版権の都合で翻訳することができなかったようだ)、チャンドラーの7つの長編を個人訳で揃(そろ)えるのは、僕が最初ということになる。恥ずかしながら……と言うべきなのだろうが、同時にまた、まことに光栄なことだとも感じている。

 そして僕にとってなにより嬉(うれ)しかったのは、この翻訳作業をしっかりと隅々まで楽しみながら、やり遂げられたことだ。もちろん翻訳自体はずいぶん骨が折れたけれど、それでもそれはとても心愉(たの)しい、そして意味のある骨の折れかただった。チャンドラーのドライブ感溢(あふ)れる見事な、しかしあちこちで頑固な癖が顔を見せまくる独特の文体を、そして彼の描く当時の大都市の風俗を、生きた今日の日本語に置き換えていくのは――言い訳するのではないが――なかなか簡単なことではなかった。しかし簡単ではないからこそ、またやりがいもあるというものだ。

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 最初に『ロング・グッドバイ』を翻訳出版したのが2007年で、それから10年かけて、自前の小説を書いたり、他の作家の翻訳をしたりする合間に、少しずつ暇をみつけてはチャンドラーの翻訳作業を続けてきたわけだが、そのあいだ「もうやめちゃおうか」と匙(さじ)を投げたくなるようなことは幸いにして一度もなかった。出版社から一度も催促されることなく、自分のペースでこつこつと自主的に翻訳を続けてきた。

 どうしてか? チャンドラーの作品に終始一貫して強く惹(ひ)かれていたから……としか言いようがない。そして7作全部を訳し終えた今、あたりを見回してほっとすると同時に、「ああ、これでおしまいか。もうこれ以上訳すべき作品はないのか」と思って、なんだかがっかりしてしまうことになる。チャンドラー・ロス、とでも言えばいいのだろうか。そういえば、故レイモンド・カーヴァーの残した全作品を訳し終えてしまったときにも、それとだいたい同じような感慨を持ったものだ。

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 作家の村上春樹氏が10年がかりで取り組んできた米作家レイモンド・チャンドラーの長編全7作品の翻訳が完結した。ハードボイルド小説というジャンルを切り開いたチャンドラーは多くの作家に影響を与え、現代文学の古典として世界で読み継がれている。この作家に深く傾倒してきた村上氏が、翻訳を終えた今思うことを寄稿した。2回にわたって掲載する。

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村上春樹氏寄稿(下) 準古典小説としてのチャンドラー 
長編7作 翻訳終えて 
2018/1/5付nk

 翻訳の仕事を始めたころから、チャンドラーの翻訳は「いつかは挑戦したいものだ」と目標に置いていたのだが、既に先人たちの優れた翻訳も出ていることだし、もっと歳を重ね、翻訳家として実力をつけてからやればいいだろうと思っていた。他に手をつけなくてはならない新しい世代の作家の作品も山積していたし、まあ急ぐことはない。

 でもある日、早川書房から「村上さん、『ロング・グッドバイ』の新訳をする気はありませんか?」と打診を受けて、まさに渡りに船という感じで、「いいですよ。やりましょう」と引き受けた。それが10年前のことだ。その頃には翻訳家としてのキャリアも(十分に、とは言えないまでも)それなりに積んでいたし、チャンドラー作品にとりかかるには年齢的にみても良い頃合いかもしれないと思った。

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 そして力を尽くして『ロング・グッドバイ』を翻訳したわけだが、僕の新訳に対する風当たりは思いの外きつかった。まずだいいちにこの作品には清水俊二さんの『長いお別れ』という優れた翻訳が先行してあり、多くの人がその訳書を通してこの作品に親しんでいた。

 これは野崎孝さん訳の『ライ麦畑でつかまえて』(拙訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』)についても言えたことだが、このようにいわば神格化された優れた既訳があるときには、新訳は厳しい逆風を受けることになる。それらの訳書を読んで感銘を受けていた読者は、自分にとっての神聖な領域に、見知らぬ人間に土足で踏み込まれたような不快感・抵抗感を抱いてしまうからだ。その気持ちはわからないでもない。僕だってやはり野崎さんの『ライ麦畑』や清水さんの『長いお別れ』で育ってきた世代だから。

 ただ翻訳というものは、経年劣化からは逃げられない宿命を背負っている。僕の感覚からすれば、おおよそ半世紀を目安として、ボキャブラリーや文章感覚のようなものにだんだんほころびが見え始めてくる。僕が今こうしてやっている翻訳だっておそらく、50年も経てば「ちょっと感覚的に古いかな」ということになってくるだろう。

 だから後世に残す価値のある優れた古典作品は、ある程度の歳月を経た時点で、翻訳に手当をする必要性が出てくる。家の補修と同じだ。もちろん翻訳者自身が手入れをできればいちばんいいわけだが、その方が残念ながら亡くなっているような場合には、新たな訳を用意する必要が生じる。

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 アメリカの作家ジョイス・キャロル・オーツはある批評の中でこのように語っている。「チャンドラーの散文は、自意識を超えた雄弁の高みに達している。そして我々は、自分が前にしているのが、ただのアクションものの作家ではなく、確たるヴィジョンを持った一人の文章家であり、一人の作家なのだという事実を前にして、思わず襟をただすことになる」。

 そういえば、カズオ・イシグロ氏もチャンドラーの小説のファンであり、彼と顔を合わせるとよくチャンドラーの話をする。僕がチャンドラーの長編小説をいくつも訳しているというと、「それは素晴らしい」と喜んでくれた。彼がチャンドラーのファンだという気持ちはよく理解できる。イシグロは、様々なタイプの物語スタイルを精緻に換骨奪胎していくことをひとつのテーマとして、小説を書き続けている作家であり、チャンドラーの小説スタイルが彼を惹きつけるのは、当然すぎるほど当然のことなのだ。

 このように、チャンドラーの影響を受けているのは、ミステリー分野の作家だけには留まらない。多くの純文学作家(というのもいささか古くさいが、他に言い方を思いつかないので)が彼の小説スタイルや文体に関心を示し、また影響を受けている。そういう意味においては、チャンドラーの遺(のこ)した作品は「ハードボイルド・ミステリー」という狭義のジャンルを超えた、文学的な「パブリック・ドメイン(文化的共有資産)」の域に達していると言っても差し支えないだろう。「すべての分野において、最良のものは、それぞれの固有の領域を超える」とゲーテは述べているが、まさにそのとおりだ。

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 そういう観点から、僕は彼の7つの長編小説を、ミステリー小説というよりはむしろ「20世紀が遺した準古典小説」として捉え、様々な読者がそれぞれ自由な読み方ができるように、できるだけ言葉の幅を広くとって翻訳するように心がけた。そういうところは、既訳とはいくぶん肌合いを異にしているかもしれない。清水さんの「正調ハードボイルド」訳とも少し違うし、田中小実昌さんの自由闊達な「語り訳」とも少し違う、僕なりのチャンドラー訳がそこにあると思う――あればいいと思う。そのうちのどれを選ぶかはもちろん読者の自由であり、文芸の世界にあってはそういう選択肢の豊かな存在こそが、何にも増して大事な意味を持つことなのだ。

 これからもチャンドラー作品が、多くの新しい読者の手に取られていくことを切に願っているし、僕の翻訳がその一助になれば、それに勝る喜びはない。

★  レイモンド・チャンドラー 1888~1959年。米国の作家。「ロング・グッドバイ(長いお別れ)」など私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とする一連の作品で知られる。乾いた叙情をたたえた「ハードボイルド」と呼ばれる小説ジャンルを切り開いた。村上氏は全部で7冊ある長編小説をこのほどすべて翻訳、刊行した。


★  むらかみ・はるき 1949年京都市生まれ。作家。著書に「ノルウェイの森」「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」「1Q84」「騎士団長殺し」など。フランツ・カフカ賞、エルサレム賞などを受賞。

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村上春樹「翻訳は外に開かれた窓」
2017/5/9付nk

 「優れた作家は存在するし、そうした作家がどんどん生まれていることを、僕は翻訳という行為を通じて学んだ。ものをつくる人間にとって怖いのは井の中のかわずになること僕にとって翻訳は外に開かれた窓といえる」。作家の村上春樹は4月下旬、東京都内で開かれたトークイベント「本当の翻訳の話をしよう」で、翻訳が結果的に「文章修業」の役割を果たしてきたと語った。

 自身の翻訳を振り返った「村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事」(中央公論新社)の刊行を記念したもので、自作の朗読やアメリカ文学研究者で翻訳家の柴田元幸や作家の川上未映子との対談もあった。「翻訳について」と題したトークでは「小説は好きなように書いているのに対し、翻訳ではエゴをできるだけ殺している。交互にやることで精神の血行がよくなっている」などと述べ、翻訳が創作に与えてきた影響を振り返った。

 レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」の翻訳の一部を朗読する際には、同作品を「ミステリーというジャンルを超えた文体の到達点」と解説。その上で自身の新作小説「騎士団長殺し」の冒頭と「描写の雰囲気が何となく似ている」と語った。翻訳という仕事に対する深い愛情とこだわりが伝わってきた。

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村上春樹さん「翻訳は究極の熟読」 トークイベント 
2017/4/28 nk

 作家の村上春樹さんの新著「村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事」(中央公論新社)の刊行を記念するトークイベント「本当の翻訳の話をしよう」が27日夜、東京都内で開かれた。村上さんが国内の公の場で話すことは珍しい。

 村上さんは「僕にとって翻訳は暇があるとついついやってしまう趣味のようなもの」と話した。さらに「翻訳は究極の熟読であって、一行一行テキストを追うのは作家として貴重な経験だった」とも述べた。

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村上春樹氏「翻訳通じて小説学んだ」 35年間を回顧 
2017/4/27

 作家の村上春樹氏の翻訳をテーマとしたトークイベント「本当の翻訳の話をしよう」が27日、東京・新宿の紀伊国屋サザンシアターで開かれた。「村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事」(中央公論新社)の刊行を記念するもので、村上氏による講演は珍しい。

 「翻訳について」と題した最初のトークでは約35年に及ぶ自身の翻訳業を振り返った。「この本を作るにあたって、原書を書棚から引っ張り出したが、こんなに翻訳していたのかと驚いた。僕にとって翻訳は暇があるとついついやってしまう趣味のようなもの。最初のうちは細かい部分は分からなくてもごりごり読んでいく。それを積み重ねるうちにスキルも自然と身についた」と話す。その上で「原文のトーンを崩さない形で読みやすい日本語にすることを心がけてきた。自分の文体を意識する余裕はない」とも。


 それは小説を書く上でも役立ったという。「小説家としては嫌なのは書きたくないのに書かなくてはいけないこと。書くことがないから苦しいし、胃だって痛くなる。でも僕は小説を書きたくない時期は翻訳をしていた。小説を書くうえで呻吟(しんぎん)した記憶はないし、胃もとても丈夫だ」と会場を笑わせた。さらに「翻訳は究極の熟読であって、一行一行テキストを追うのは作家として貴重な経験だった。翻訳を通じて(トルーマン・)カポ-ティや(ジョン・)アーヴィング、(レイモンド・)カーヴァーらから小説の書き方を学んだ。それは文体というより、世界を切り取る彼らの視点だったと思う」と述べた。

 やはり小説とともに翻訳も手掛けていた作家の故・丸谷才一氏に関するエピソードも披露した。自宅に弔問に訪れた際、丸谷氏の英語書籍だけを集めた書庫を見せてもらった。「手にとって読んだ跡がほとんどの本にあった」という。机の引き出しには村上氏がノーベル文学賞をとった場合に備えたお祝いの原稿が残されていたという。「なんか申し訳ない気持ちになりました。でも、僕のせいではないですものね」

 その後、カポーティ「ティファニーで朝食を」など自身が翻訳した作品の一部を、解説をまじえて朗読。女性作家、グレイス・ペイリーの「この国で、しかし別の言語で、私の叔母は、みんなが薦める男たちと結婚することを拒否する」に関しては、作家の川上未映子氏が朗読した。川上氏との対談で村上氏は「18歳で故郷の関西を離れたとき、それまでの自分とは違うフェーズに入ったように感じた。講演も英語の方が借り物でやっているような気がして楽に感じる」と語った。

 最後にアメリカ文学者で翻訳家の柴田元幸氏が登場。レイモンド・チャンドラーの「プレイバック」などの原文の一部と、その村上訳、柴田訳を比較する「翻訳講座」を2人で開講。柴田氏は「僕の訳は正確さに重きを置いているが、村上さんの訳はそこから一歩踏み出しているのがうらやましい」などと評価した。柴田氏との対談で「翻訳したい作品は山ほどある。時間がどれだけあるか」と述べた村上氏。今後も小説のみならず翻訳でも楽しませてくれそうだ。

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