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桓武天皇。平安朝を開く。Emperor Kanmu。4月9日没

桓武天皇。平安朝を開く。Emperor Kanmu。4月9日没

桓武天皇

・737年~806年4月9日没。70歳

平城京→長岡京→平安京

50代 桓武(かんむ)天皇は、 794年平城京、長岡京から平安京に都をうつして、 律令政治(国の根本の法)の再建につとめます。

38代 天智天皇の子孫にあたります。


奈良時代は、
政治にまで口を出す僧侶たちにより 国が乱れます。

仏教を政治からはなす必要があります。


桓武天皇は、
奈良時代の「南都六宗」を避け、 最澄、空海に新しい仏教をおこさせます。

桓武天皇が、最澄、空海を唐に派遣したのは、 怨霊退治に効く新しい宗教(=最新科学)を輸入するためでもあります。


天台宗(比叡山。最澄)や真言宗(高野山、和歌山県。空海)が 都から離れた山岳で開いたのも、 政治から距離を置くためです。


仏教はそのころ先端科学です。 お寺の<瓦>は
神社の<昔ながらのわらぶきの屋根>より先進的です。  
最澄の天台宗も空海の真言宗も、 桓武天皇の「先端科学の吸収」、すなわち「国家鎮護」のためにありました。





【※】平城京→長岡京→平安京

桓武天皇は、784年平城京から長岡京に都をうつし、794年あらためて平安京を造営します。
平安京は400年続きます。
自身の「平安」を祈り、都を平安京とします。
平安京では、以下をめざします。 ・混乱した政治の立て直し ・最澄、空海などの新仏教の保護
・東北地方の支配

桓武天皇は強力な天皇です。 ・平安京に遷都します。 ・国史「続日本紀」40巻の編纂をおこないます。 しかし、飢饉、洪水などの変事が続き、 怨霊におびえながら生涯を閉じます。


坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)は、 東北を制圧します。




【桓武天皇(737- 806、69歳)年表】 781年 桓武天皇即位 784年 長岡京着工 785年 早良親王、淡路へ流される途上、憤死。遺骸は淡路に埋葬 790年 天然痘流行 792年 早良親王の霊に謝罪使 794年 平安京に遷都 797年・799年 墳墓に謝罪使 800年 桓武天皇、早良親王に祟道(すどう)天皇の号を贈る。陰陽師らが墓に陳謝、墓守をおく 805年 淡路に常隆寺を建立し、早良親王の冥福を祈る。親王の命日を国忌に 806年 諸国国分寺の僧に読経を命じる。桓武天皇崩御


※ 桓武天皇とカール大帝は、同時期の人です。 カール大帝は、ドイツ、フランス、イタリアを征服し、西ヨーロッパを統一しました。






名言
「最澄、空海よ。新しい仏教をおこしなさい」(霊験)


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