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正岡子規。俳句の写生論を提唱した俳人。Masaoka Shiki。9月19日没。34歳

正岡子規。俳句の写生論を提唱した俳人。Masaoka Shiki。9月19日没。

Masaoka Shiki.jpg
正岡子規 


















・1867年10月14日。愛媛県松山市~1902年9月19日没。34歳。台東区上根岸

正岡子規は、父は松山藩士です。

日清戦争の従軍記者となります。
肺結核がひどくなり、ほとんどねたきりの生活がつづきます。

病床で、短歌や俳句の革新をめざします。
俳句では与謝蕪村(よさぶそん)を、短歌では『万葉集』を重んじます。
自然や人生をありのままにえがく写生文を提唱します。


句集『寒山落木(かんざんらくぼく)』、
随筆『病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)』、
歌論書に『歌よみに与うる書』があります。


<  柿くへば  鐘が鳴るなり  法隆寺 >

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ホトトギス  【※】口の中が赤い

「鳴いて血を吐く ホトトギス」といわれるように、
ホトトギスは口の中が赤いので、
鳴くと血を吐いているように見えます。

正岡子規(シキ)は、
22歳で結核になり喀血(かっけつ)したとき、
ペンネームを子規にしました。
<子規>とは「ほととぎす」のことです。

子規は野球が好きで、「打者」「走者」「直球」などは子規の翻訳語です。

正岡子規記念球場 は、上野公園内にあります。正岡子規は東大中退です。


子規は1897年俳句雑誌『ホトトギス』を主宰し、
写生俳句を首唱しました。
門下には
    高浜虚子、
    河東碧梧桐(かわひがし へきごどう)、
    伊藤左千夫、
    長塚節(たかし)

がいます。

夏目漱石とは学生時代から交友がありました。

子規の出身地 松山市は俳句の盛んなところです。

子規は、日露戦争を勝利にみちびいた同郷の
秋山好古(よしふる)、真之(さねゆき)とも交流がありました。
司馬遼太郎『坂の上の雲』に交友録が描かれています。


<「卯の花の
散るまで 鳴くか
子規(ホトトギス)」>


【野球の「フォアボール」】
野球の「フォアボール=四球」は正岡子規が考え出しました。

【寸言禄】 2022/09/14

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俳句が盛んな松山市
愛媛新聞 2003/3/18
松山市は俳句が盛んです。
夏井いつき も 松山出身です。


俳句ポストは、市内の要所に設置されています。
句碑は300基以上散在しています。

持参の折りたたみ自転車にて。
銀天街アーケード 2003/3/18朝5時

銀天街アーケード入り口
松山市駅側高島屋横
松山の繁華街は一番町の大街道(おおかいどう)から始まります。
大街道(おおかいどう)は日本初の開閉式アーケードです。
大街道から銀天街、さらに地下街のまつちかタウンを経て松山市駅へと続きます。

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川越の子規の碑、台東区の子規庵 、松山市立子規記念博物館 
正岡子規の碑は、川越市大手町に。
    「砧(きぬた)うつ 隣に寒き 旅寝哉(かな)」


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鶯谷駅の子規庵

正岡子規の根岸・子規庵
子規庵<東京都指定史跡











子規庵














病牀六尺の舞台











正岡子規は、子規庵で、
俳句の革新をめざして命を燃やしつくしました。
子規庵は、旧前田侯の下屋敷の長屋でした。

高浜虚子、河東碧梧桐、伊藤左千夫、長塚節、中村不折がよく集まっていました。

夏目漱石、森鴎外、与謝野鉄幹も子規庵を訪れています。

< 漱石が来て  虚子が来て  大三十日(おおみそか) >

<  汽車過ぐる  あとを根岸の  夜ぞ長き >

享年34歳。


子規庵   【※】子規庵について  左上に MENU あり。English
    交通案内 :
  子規庵、笹の雪、ねぎし三平堂、書道博物館(中村不折)  鶯谷の山側は、谷中(やなか)、寛永寺。


知の回廊 第36回『松山文学散歩 正岡子規 編』【+28】
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子規庵「歳旦帳(さいたんちょう)」発見 未発表5句や自画像も 

2017/8/22  nk

 俳人の正岡子規(1867~1902年)の未発表句5句や自画像などが収められた「歳旦帳(さいたんちょう、前年中に歳暮などの句を集めた小句集)」が見つかったことが22日、分かった。

 歳旦帳は子規が亡くなる前年、年始に
子規庵を訪れた客が記帳した芳名録のようなもの。

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正岡子規の未発表句
【※】正岡子規は、わかりやすい俳句をめざしました

< 寝後れて  新年の  鐘を聞きにけり >

  上野・寛永寺の鐘を  除夜にではなく、 新年に「聞きにけり」



< 暗きより  元朝(がんちょう)を騒ぐ  子供哉 >

朝も暗いうちから、元日の朝を横丁で騒ぐ  子供たち



< うらうらと  初日の影や  枯木立(かれこだち) >

上野の山の  枯木立に  初日の光が差し込んでいる様子。



< 初夢や  巨燵(こたつ)ふとんの  暖まり >

初夢をみる条件がそろいぶみ。



< 留守の戸に  名刺投込む  御慶(ぎょけい)かな >

「御慶」は新年のめでたいあいさつ。


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知の回廊 第36回『松山文学散歩 正岡子規 編』   【+28】

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