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西行(さいぎょう)。平安末期の歌人。西行⇒ 宗祇⇒ 芭蕉と続く漂泊の歌人。Saigyō。3月23日没

西行(さいぎょう)。平安末期の歌人。西行⇒ 宗祇⇒ 芭蕉と続く漂泊の歌人。Saigyō。3月23日没

 西行法師
♪♪~ 嘆けとて月やはものを思はする かこちがほなるわが涙かな     西行法師
<「嘆け」と言って月が私に物思いをさせるの。まさかそんなことはないのだが、月にあてつけるように流れる私の涙だよ>

・1118年。京都~1190年3月23日没。河内

西行(さいぎょう)は、平安末期から鎌倉初期にかけて活躍しました。
鳥羽上皇に仕え、のちに出家しました。歌人でした。
【※】西行とは、西方浄土へ行くです。

1186年には、鎌倉で源頼朝に面会したことが『吾妻鏡』(あずまかがみ)に記されていいます。
【※】 吾妻鏡:   鎌倉幕府の歴史書、武家政権の最初の記録です。吾妻とは東国のことです。

頼朝からいただいた純銀の猫を、通りすがりの子供に与えてしまいました。


西行⇒ 宗祇⇒ 芭蕉  は、漂泊の歌人です。

【※】西行⇒ 宗祇⇒ 芭蕉
西行(1118年生まれ)の跡を、
    連歌の宗祇(1421年生まれ)が追い、
    そのあとを俳句の芭蕉( 1644年生まれ)が
追いかけました。



♪♪~ 心なき 身にもあはれは しられけり 鴫(しぎ)立たつ沢の 秋の夕ゆふぐれ
出家の身であっても、しみじみとした趣は感じられるものだなあ。鴫(しぎ)が飛び立つ沢の夕暮れよ。

伊勢神宮にて:
♪♪~ なにごとの おはしますをば しらねども かたじけなさに 淚なみだこぼるる  
<どんな方がいらっしゃるかは知らないけれども、恐れ多く、そしてありがたい気持ちで涙がこぼれてきます。

♪♪~ 願はくは  花の下にて  春死なん そのきさらぎの望月のころ
<願うことには、桜の花の下で、死にたいです。2月(お釈迦様のなくなった)の滿月のころに。>


・西行は平清盛と同年の生まれです。
第74代鳥羽天皇を平清盛などと守りました。


いずれ

藤原秀衡と姻戚

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