ページ

北里柴三郎。日本の細菌学、破傷風の父。6月13日没

北里柴三郎。日本の細菌学、破傷風の父。6月13日没  
北里 柴三郎

1853年1月29日。熊本県阿蘇郡小国(おぐに)町~1931年6月13日没。78歳


北里柴三郎(きたさと しばさぶろう)は、熊本県の阿蘇郡小国町に生まれました。

Description:
二人の弟をコレラで亡くします。
このことで医者になることを決意します。

東京大学医学部を卒業しました。
1885年32歳でドイツへ留学し、
ベルリンのコッホ研究所に入って学びました。
コッホは、コレラ菌を発見して、
のちにノーベル賞を受賞した細菌学者です。

【※】野口英世は北里 柴三郎の指導を受け,渡米しました。

北里柴三郎は、破傷風の研究で成果をあげました。

6年間のドイツ留学で、北里柴三郎は世界の細菌学者のひとりとなりました。

【※】ノーベル賞受賞は当然ですが、ドイツの医師にはドイツの国を挙げての応援があったのに対し、 北里は国内で足を引っ張られていました。


福沢諭吉の協力を得て、伝染病研究所をつくりました。

北里柴三郎は、
赤痢菌を発見した志賀潔
狂犬病ワクチンの研究をした梅野信吉、
黄熱病の研究で有名な野口英世
などを育てました。

応義塾大学に医学部をつくって初代の医学部長をつとめたのは、
福沢諭吉の恩にむくいるためでした。

【+22】北里柴三郎博士とふるさと小国町 熊本県生涯学習推進センター



【名言】

至誠一貫、物事は筋を通す


0 件のコメント:

コメントを投稿