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聖武天皇。感染症対策で奈良の大仏を造る。6月4日没

聖武天皇。感染症対策で奈良の大仏を造る。6月4日没 

・701年~756年6月4日没,奈良。

45代 聖武(しょうむ)天皇は、天武天皇のひ孫にあたる人物です。

聖武天皇が大仏を造ったのは、感染症対策でした。
その頃500万人口の4人に1人が死亡しました。
745年に大仏の制作が開始されました。

少し前の737年には、政治の中枢にいた藤原四兄弟が、天然痘で死去しました。
聖武天皇の きさき は、藤原系の光明子(こうみょうし)でした。

聖武天皇はさらに仏教によって社会の不安を鎮めようと、各地に国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)を設置しました。

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・節分の「鬼は外」の鬼とは疫病神のことです。

・中国から来た鑑真は僧医で、聖武天皇の母を治しました。
鑑真の唐招提寺は薬師寺内に建っています。

・正倉院には、1200年以上まえの聖武天皇の遺愛の品などが、現存しています。

・天皇は仏教徒でした。 明治に、西欧の一神教をまねて、神道に一本化させられました。
    京都の泉涌寺 (せんにゅうじ) は歴代天皇の陵墓があります。


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