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蓮馨寺の感誉存貞(かんよぞんてい)、豊臣秀吉に信書をしたため、川越を戦乱から救う。<川越の先人

 蓮馨寺(れんけいじ)の感誉存貞(かんよぞんてい)、豊臣秀吉に信書をしたため、川越を戦乱から救う。<川越の先人

蓮馨寺の感誉存貞は、蓮馨寺を開山しました。

浄土宗の住職になるための制度を大成しました。壇林(僧侶養成大学院)では、3年ずつ9期、計27年間修行することになります。

大本山・増上寺の最高指導者となります。

豊臣秀吉軍が、後北条の領地であった河越(江戸から、川越)を戦乱に巻き込もうとしました。

感誉存貞は豊臣秀吉に信書をしたため、河越を戦乱から救いました。
(豊臣秀吉の書状)「河越では今後いっさい、火付盗賊、戦乱はまかりならぬ」。(
豊臣秀吉の書状。粂原恒久 蓮馨寺住職)。



(cf:桑原政則「川越の先人」  『川越の文化財』川越市文化財保護協会 136号、2020年10月、抜粋 )

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