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渋沢栄一32歳で、銀行の頭取になり、社会公共事業へも参画

 渋沢栄一32歳で、銀行の頭取になり、社会公共事業へも参画

明治政府は、資本主義の発展を目指して金融制度を盛んにすることにしました。
(実際には軍主導の資本主義が発展)

1871年・明治4年、渋沢栄一 31歳は、株式会社設立の手引書『立会略則(たちあいりゃくそく)』を刊行しました。

1872年 政府は第一国立銀行を設立しました。国立ではなく、民間の銀行でした。

頭取になったのが渋沢栄一 32歳でした。

これが渋沢栄一の財界人としてのスタートでした。

また、この年に60年つづく社会公共事業・「養育院」への支援も始まりました。
600の社会公共事業へのかかわりの始まりです。

社会事業を通じて、富の再配分をし、社会がうるおい経済が循環するとした「道徳経済合一説」の実践がこの年に始まっています。

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