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荒城の月。 滝廉太郎。/土井晩翠。「千代」=徳川家康

 荒城の月。 滝廉太郎。/土井晩翠。「千代」=徳川家康

滝 廉太郎

1879年8月24日― 1903年6月29日。23歳。 大分市。

【17分】滝廉太郎の23年の生涯と『荒城の月』『憾』を解説 

荒城の月  伊藤久男 

荒城の月    藤山一郎

荒城の月 

1

春高楼(こうろう)の 花の宴(えん)
巡る盃(さかづき) 影さして
千代の松が枝(え) 分け出でし
昔の光 今いずこ

2

秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿いし
昔の光 今いずこ

3

今荒城の 夜半(よわ)の月
変わらぬ光 誰(た)がためぞ
垣に残るは ただ葛(かずら)
松に歌う(うとう)は ただ嵐

4

天上影(かげ)は 変わらねど
栄枯(えいこ)は移る 世の姿
映さんとてか 今も尚
ああ荒城の夜半の月

【歌詞の意味・現代語訳(意訳)】

1.
春には城内で花見の宴が開かれ
回し飲む盃(さかづき)には月影が映る
千年の松の枝から こぼれ落ちた
昔の栄華は今どこに

2.
秋の古戦場 陣跡の霜に静寂が満ちる
空を行く雁の群れの鳴き声
敗れた兵の地面に刺さった刀に映る
彼らの命の輝きは今どこに

3.
今や荒れ果てた城跡を
夜半の月が照らす
昔と変わらぬその光
主も無く 誰のために
石垣に残るは葛のツタのみ
松の枝を鳴らす風の音のみ

4.
天上の月が照らす影は今も変わらず
されど世の中の栄枯盛衰を
今もなお映そうとしているのか
ああ 荒城を照らす夜半の月よ

・・・・・・・・・・・【解説】荒城の月。 

1901年(明治34年)、日本で作曲の初めての西洋音楽の歌曲です。

土井晩翠(どい ばんすい)の詩に、瀧廉太郎が曲をつけました。

土井晩翠は、武士の時代の終わり、時の無常の哀愁を詠みました。

「千代」とは 非常に長い年月 のことですが、
徳川家康の幼名「竹千代」も表し、
徳川の世をしのんでいるようです。


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土井晩翠は、仙台出身です。
仙台の旧名は「千代(せんだい)」です。

東大英文科卒の
詩人・英文学者です。
1871年12月5日(明治4年10月23日)。仙台~1952年10月19日(80歳没)

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