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吉田茂。戦後日本政治の立役者。10月20日没

 吉田茂。戦後日本政治の立役者。10月20日没 

談笑する吉田茂、1953年









・1878年9月22日 ~1967年10月20日。満89歳没

吉田茂は、高知県出身です。

外務省に入省後20年の多くを
中国大陸で過ごしました。

イギリス駐在大使をつとめた「反共 親英米派」でした。

1946年から、約7年にわたって政権を担当しました。
サンフランシスコ平和条約を調印し、
「軽武装・経済重視」路線で、敗戦の焼け野原から
日本を上手に離陸させました。



【※】
「軽武装・経済重視」路線  
宏池会(こうちかい)は、岸田派。
自民党内のリベラル派。
池田勇人が佐藤栄作とたもとを分かって旗揚げしたのが始まり。


吉田「学校」には、佐藤栄作、池田勇人、田中角栄がいます。
保守本流を形成します。
(
池田勇人、岸田文雄は、広島県人)

戦後政治の2代巨人は吉田茂、岸信介です。


吉田茂の先祖に、大久保利通が祖先にいます。
文藝評論家の吉田健一は長男です。
寬仁親王妃 信子は孫です。
麻生太郎は孫です。

親密なマッカーサーと



 







曲学阿世の徒  南原繁

ソ連や中国を除く国々との単独講和を進める吉田政権に対し、
東京大学総長 南原繁がこれらの政府を含めた全面講和を主張しました。

激怒した吉田は、
「これは国際問題を知らぬ曲学阿世(きょくがく あせい)の徒」と
南原を批判しました。
吉田が正しかったようです。


【4分】わが外交を語る 吉田茂 

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