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金地院 崇伝(こんちいん すうでん)。徳川家康の政治顧問。(天海は宗教顧問)。2月28日没

金地院 崇伝(こんちいん すうでん)。徳川家康の政治顧問。(天海は宗教顧問)。2月28日没

崇伝(すうでん)


















・1569年~1633年2月28日。65歳 

徳川将軍には顧問の僧侶が二人おりました。
天海と崇伝です。

天海は霊の世界を、

崇伝は政治の世界を

管轄し、棲み分けていました。 

崇伝は37歳で臨済宗の最高位 南禅寺の住職となった優れた学僧です。 

崇伝は、
    寺社諸法度(じいん しょはっと)・
    武家諸法度(ぶけ しょはっと)・  ※ 武家諸法度 NHK
    禁中並公家諸法度(きんちゅう ならびに くげしょはっと)
を起草しました。 
漢文が自在なので、外交政策まで手広く手掛けた、相当なヤリ手です。

しかし、天皇を退位させるなど強引な政治手法により、世人から
    「黒衣(こくい)の宰相(さいしょう)」
とよばれていました。
黒衣とは僧侶、宰相とは総裁のことです。














また 「方広寺鐘銘事件」に関与したといわれています。
 『国家安康』は、家康の名を二つに切り裂いている。
『君臣豊楽』は、豊臣だけが栄えて楽しむととらえられる。

これがきっかけになり大阪の陣が勃発、家康は天下を得ました。
難癖を付けたのは崇伝とされていますが、しかし崇伝も天海も関与していませんでした。


南禅寺      

cf. 火坂雅志『黒衣の宰相』文藝春秋、2004年。

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