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南関東4都県は、鎌倉時代から800年以上日本の中心

 
鎌倉時代の関東地図

南関東4都県は、鎌倉時代から800年以上日本の中心
源頼朝は、南関東4カ国 (駿河・伊豆・相模・武蔵)を
本拠地にしました。 幕府有事の「いざ鎌倉」のときは、武士は命がけではせ参じました。
駿河・伊豆(静岡県)・相模(神奈川県)・武蔵(東京都、埼玉県)の4県都は、いまでも日本の中心を占めています。
【※】駿・伊・相・武4カ国
=南関東4カ国
駿・伊・相・武 (しゅんいそうむ)
=駿河(するが)・伊豆(いず)・相模(さがみ)・武蔵(むさし)
=駿河・伊豆(静岡県)・相模(神奈川県)・武蔵(東京都、埼玉県) 駿河・伊豆・相模・武蔵の南関東4カ国に次ぐ第2グループは、 安房(あわ)、上総(かずさ)、下総(しもうさ)の房総半島グループです。
上総(かずさ)が下総(しもうさ)より下にあるのは、
都からの舟便が近いからです。 第3グループは、
上野(こうずけ)、下野(しもずけ)、常陸(ひたち)です。
群馬、栃木、茨城です。 東京から離れているので、埼玉、千葉と違って、
コロナ禍にあう率がずっと少ないです。

【cf.】2022年5月6日 新たに確認された感染者数
東京        2681
神奈川    1183
埼玉        1020
静岡        374
千葉        492

群馬        290
栃木        262

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