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諏訪のタケミナカタは、鹿島のタケミカヅチに敗れる

タケミナカタとタケミカヅチの相撲(※1 )


日の昇る東にある鹿島神宮と
日が沈む諏訪大社は、
東西の道で結ばれています。

鹿島は、大和政権の東国進出の際の拠点でした。

鹿島神宮の祭神は、
タケミカヅチ(建御雷神)です。
タケは勇ましいという意味です。
いくさの神、刀剣の神です。

「ミカヅチ」とは、雷のことです。
雷は古くは「いかずち」といいました。

タケミカヅチ(建御雷)は、
オオクニヌシ(大国主)の息子のタケミナカタ(建御名方)に
国を譲れと迫り、戦いで勝ちました。

これにより、オオクニヌシ(大国主)は、
現世の神から幽界の神となり、
人の運命をつかさどるようになりました。
出雲大社はいまも縁結びで有名です。

敗れたタケミナカタ(建御名方)は
諏訪に引きこもり、
そこから出ないことを条件に許されました。

諏訪大社には敗者のタケミナカタ(建御名方)がまつられています。
この二人の戦いが相撲の起源とされています。

【まとめ】

鹿島神宮:タケミカヅチ(建御雷) 勝者
諏訪大社:タケミナカタ(建御名方) 敗者

◇                    ◆                    ◇

中臣鎌足(なかとみのかまたり=藤原鎌足、614-669))は
鹿島生まれです。

中臣鎌足は、天智天皇に協力し、645年大化の改新を実現しました。

平城京に春日大社が作られると、鹿島の神を迎えました。

「鹿島立ち(かしまだち)」とは、
奈良時代この地から九州の防備におもむいた防人(さきもり)が
道中の無事を祈ったことに由来します。
いまでは「旅立ち」をあらわします。

鹿島神宮の本殿と
諏訪大社の上社(かみしゃ)の守屋山の山頂とが同緯度です。
守屋山は、諏訪大社のご神体そのものです。

埼玉県下には諏訪神社が80もあります。

秩父地域に多く見られます。
諏訪地域からの治水工事のために
移住してきた人が多かったようです。

(※1 )http://sekihatenkyou.jugem.jp/