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井沢元彦:秀吉の朝鮮出兵は軍事の常道だった <読書メモ

1590年、秀吉は天下を統一します。

天下統一はめでたいことばかりではありません。

これで困った人たちが多くでます。
兵士たちです。

兵士たちにとっては、このままでは仕事がなくなり失業してしまいます。

秀吉にとっても、平和になれば、膨大な失業兵士からの脅威にさらされます。

したがって、余剰軍事力を消費するために、外征に乗り出しました。
隣国には迷惑なことですが、これが軍事の常道です。

世界史的に見ても、アレキサンダー、チンギス・ハン、ナポレオンなども
軍事力のはけ口を外に向けました。

秀吉の朝鮮出兵は荒唐無稽、無謀、愚策だったのではなく、
当時の武士全般からは支持されていました。

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【追】
秀吉は家康を朝鮮出兵に参加させませんでした。
理由は以下です。

秀吉の直轄領は500万石でした。
2位は家康で250万石です。
このままでは、秀吉の死後は、家康が天下を取ることになります。

秀吉は、朝鮮出兵の結果、子飼いの加藤清正、小西行長、石田三成たちを100万石以上にして、
家康に対抗させるつもりでした。

文禄の役 【地図】
加藤清正は、出世のチャンス到来と喜び勇んで、はるか北朝鮮北部まで攻め入りました。

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