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渋沢栄一。日本実業界の父。福沢と並ぶ近代の偉人。11月11日没

渋沢栄一。日本実業界の父。福沢と並ぶ近代の偉人。11月11日没


・1840年3月16日。深谷市血洗島~1931年11月11日没。満91歳。北区西ヶ原

  渋沢栄一は、日本最初の銀行である第一国立銀行を興しました。王子製紙、東京海上保険、日本郵船、東洋紡、帝国ホテル、札幌麦酒、石川島造船所など、500以上の企業を興しました。さらに、慈恵会、東京養育院などの病院や、一橋大学、日本女子大学などの学校の設立にも力をつくしました。生涯は、日本の実業界の発展史でもありました。

  渋沢栄一は、東京の乗合馬車屋に川越で営業することを進めました。
この馬車屋が1894年に佐久間旅館になりました。
佐久間旅館は、島崎藤村や皇族などが利用する由緒ある旅館でした。

  渋沢栄一は、伊藤兼子と再婚しました。
兼子の父は、川越出身の大富豪・伊藤八兵衛です。

フランス文学者の澁澤龍彦は血縁者です。



渋沢栄一記念館 深谷市
渋沢栄一記念財団・旧渋沢庭園 北区西ヶ原

渋沢栄一 没  墓は、谷中の徳川慶喜の横に

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【谷中霊園を歩く】

谷中霊園案内図  著名人墓碑銘も【PDF】


徳川慶喜(ケーキ、よしのぶ)の墓所もあります。
徳川慶喜 墓所
最後の将軍15代・徳川慶喜(よしのぶ)の父は
水戸斉昭(なりあきら)です。母は皇族です。

門には葵の御紋があります。
石碑の向こうに円墳状の墓が見えます。神式です。


15代・徳川慶喜(よしのぶ)は、朝敵となった自分をゆるしてくれた明治天皇に感謝の意を示すため、葬儀を神式で行なうように遺言しました。


資本主義の父・渋沢栄一の墓は、徳川慶喜(よしのぶ)の近くにあります。
渋沢栄一は、徳川慶喜にも仕えました
渋沢一族の墓所