殉節越後長岡藩士の碑 =会津若松市門田町飯寺(にいでら) |
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「殉節 越後長岡藩士の碑」(意訳)
「明治元年(1868年)戊辰戦争のさい、
越後 長岡藩士・山本帯刀(たてわき)隊長
他に43名が80里(320キロ)の
難関を越えて会津鶴ヶ城下に至りました。
9月8日未明に会津藩士400余人と協力、
力戦苦闘、いったん西軍を潰走(かいそう)させました。
しかし、濃霧のため
門田町飯寺 ( もんでんまち にいでら)において孤立、
敵の重囲(じゅうい)におちいり、
ついに全員戦死しました。
飯寺村民の手により、
供養の碑が建てられ
厚い法要が営まれました。
1956年、会津史談会など有史の篤志により、
新に殉節の碑が建立されました。」
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越後・長岡藩に手あつい会津人
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