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河井継之助(つぎのすけ) 埋骨(まいこつ)の地



河井継之助 埋骨の遺跡 @建福寺、会津若松市建福寺前


河合継之助(1827- 1868)は、幼少より文武にはげみました。
知行合一(ちこうごういつ)の陽明学をおさめました。

禄高は高くありませんでしたが、才腕を認められて、
のちに長岡藩政をつかさどるようになりました。

長岡藩をスイスのような永世中立国にする夢を持っていました。

戊辰戦争では、長岡城攻防戦で奮闘しました。


河井継之助は、
長岡での流れ弾による破傷風のため、
南会津郡只見町の塩沢で亡くなりました。


「河井継之助 埋骨の遺跡」は、
薩長軍の目をはばかって、
人目につかないところにあります。

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建福寺は、保科正之に従って、信州・高遠より移ってきました。

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河合継之助の日記「塵壺(ちりつぼ)」 @長岡高校記念資料館
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河合継之助を描いた作品に
司馬遼太郎『峠』があります。
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殉節(じゅんせつ) 越後長岡藩士の碑
越後・長岡藩に手あつい会津人 

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中村芳松編『河合継之助』国会図書館